Jをめぐる冒険BACK NUMBER
興梠、塩谷、藤春それぞれの五輪。
責任ではなく恩返しを見せて欲しい。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJMPA
posted2016/08/19 11:30
リオ五輪で、代表そのものへの意欲が興梠慎三の中で変化したのだとすれば、今後の展開に期待が高まる。
興梠はすっきりした表情でミックスゾーンに現れた。
その後、ブラジルに出発する直前の7月19日、千葉合宿で23歳以下の選手たちと初めて顔を合わせた。その日から数えて24日目となる8月11日(現地時間10日)、手倉森ジャパンにとっての、オーバーエイジ3人にとってのリオ五輪は終わった。
1-0で勝利しながら敗退が決まったスウェーデン戦終了後、3人のうちでミックスゾーンに最初に現れたのは、興梠だった。
晴れやかとまではいかないが、落ち込んでいる様子はなく、どちらかと言えばすっきりとした表情だった。
「オーバーエイジということで、自分がどこまでやれるのか最初は不安でしたけど、背負いすぎるのも良くないと思って、気楽な気持ちで臨めたと思います。楽しくやれたし、悔いのない3試合でした。それが結果に結びつかなかったのは残念です」
3試合すべてに先発出場したのは、指揮官からの厚い信頼の証だった。一度は固辞したオーバーエイジのオファーだったが、旧知の間柄である手倉森監督から直々に口説かれて、参加を決断した。
「次はA代表で、みんなで会えるように」
ナイジェリアとの初戦ではPKによるゴールを決めた。だが、目に見える結果以上に輝いたのが、得意とするポストワークだった。ワンタッチの落とし、ヒールパス、フリックパスが、どれだけ周りを生かし、日本の攻撃をスピードアップさせたことか。
もともと黒子に徹することを誓って臨んだ今大会だった。
「目立とうとはまったく思っていない。リオ五輪世代の選手たちは後々A代表で活躍する選手たちだと思うので、彼ら一人ひとりが100%の力を出せるようにサポートしたいと思います」
そうした心構えのおかげなのか、30歳という年齢によるものか、もともとの性格なのか、3人のなかで最も普段どおりにハツラツと、楽しみながらプレーしているように感じられたのが、興梠だった。
「この大会で出し切ったので、次のことは何も考えていない」
興梠はそう言った。だが、その一方で「次はA代表で、みんなで会えるように頑張りたいなと思います」とも話している。初めて出場した世界大会で、日に日にチームが良くなっていく体験が、「世界大会や代表への欲はない」と語っていた興梠の何かを刺激したのかもしれない。