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さらばベルルスコーニ、迎える転換期。
“チャイナ・ミラン”で本田の境遇は?
posted2016/08/19 11:00
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Getty Images
すべては、ヘリコプターの爆音とともに始まった。
1986年の7月18日、ミラノのアレーナ競技場へ上空から舞い降りたのは、5カ月前に実業家シルビオ・ベルルスコーニに買収されたミランの選手たちだった。
TVメディアや不動産業での成功によって成り上がったベルルスコーニは、ミラン買収後初のセリエA開幕を控え、そのお披露目に際し、配下の者たちへ号令をかけた。
「思い切りド派手にやれ」
主将フランコ・バレージやFWダニエレ・マッサーロ、若き日のパオロ・マルディーニらが、恐る恐るヘリから降り立ったとき、競技場にはワーグナーの“ワルキューレの騎行”が大音量で流されていた。
選手たちだけでなく、4シーズン前の2部時代を知る当時のフロントたちも「あれにはたまげた」と、後年口を揃えた。
サッカーを巨大ビジネスに仕立てたクラブの転換期。
サッカーの世界にTV的な演出手法を持ち込んだベルルスコーニのミランは、その後スター選手を世界規模で買い揃え、セリエAと欧州を席巻。30年間で5度のUEFAチャンピオンズリーグ(前身のチャンピオンズカップも含む)優勝と3度のクラブ世界一、そして8度のスクデットなど28個ものタイトルを獲りまくり、クラブの野心は結実した。
現代サッカーは、単なるスポーツの枠組みを越え、巨大ビジネス産業と化した。その繁栄の端緒は、30年前の夏、ミランの選手たちが天空から舞い降りたお披露目イベントだった。
ミラニスタに限らず、イタリアではそういう見方が今も根強い。
しかしこの夏、ミランは大きなターニングポイントを迎えた。
8月5日、中国の投資グループ、Sino Europe Investiment Management Changxing(SEIMC)社へクラブ株式の99.93%譲渡に関する合意が発効し、30年間に及ぶベルルスコーニ時代に終止符が打たれることが確実になった。