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71人死亡の飛行機事故“シャペコエンセの悲劇”の生還者にして唯一の現役選手が語る“復帰”「以前の姿に戻れるとは想像すら…」
posted2021/06/07 11:00
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph by
L’Équipe
乗客、乗員合わせて71名が亡くなったラミア航空2933便墜落事故――いわゆる「シャペコエンセの悲劇」が起こったのは2016年11月28日のことだった。コパ・スダメリカーナ決勝第1レグのためボリビアからコロンビアのメデジンに向かう途中の事故で、搭乗していたシャペコエンセの監督・選手・役員50人が死亡。その中には監督のカイオ・ジュニオール(2009年ヴィッセル神戸監督)をはじめ、2013年J2得点王のケンペスなど、Jリーグに馴染みのある選手が何人も含まれていた。
搭乗しながら生き残った選手は3人で、そのうちのひとりがアラン・ルシェウである。ルシェウはそのなかでも、現役に復帰した唯一の選手でもあった。
今年1月、そのシャペコエンセがブラジル全国選手権・セリエB(2部)で優勝を遂げたのは、NumberWEBでも伝えている。2019年にセリエBに降格したチームの2年ぶりのセリエA復帰。そしてそのチームのキャプテンを務めたのがルシェウだった。
『フランス・フットボール』誌3月16日発売号は、エリック・フロジオ記者によるルシェウインタビューを掲載した。悲劇のトラウマをいかにして克服したのか。ルシェウが語った。
(田村修一)
セリエA昇格でもチームを去る理由
――セリエBチャンピオンのタイトルを手にクラブを去りますが、思い描ける限り最高の門出ではないですか?
「クラブに別れを告げる理想のときがあるとすれば、それは今しか考えられない。地域のタイトル(サンタカタリナ州選手権)と全国タイトル(セリエB)のふたつを制覇したのは、クラブ創設(1973年)以来最も輝かしい出来事のひとつだ。この特別な瞬間にキャプテンとしてかかわれたのはこのうえない名誉だ。僕はシャペコエンセでほとんどすべてのタイトルを獲ることができた。クラブの歴史を作り、自分の仕事を成し遂げたという誇らしい気持ちで去ることができる」
――とはいえ今季はクラブの財政危機や選手の給料支払いの遅れ、パウロ・マグロ会長のコロナによる逝去など苦難の連続でした。