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マートンの“ついで”だった男が。
遅咲きのMVP候補・ドナルドソン。
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byAFLO
posted2015/09/27 10:30
2年連続リーグ最多の失策を喫しながら、圧倒的な打撃でMVP候補に輝くドナルドソン。
打席での「待ち方」を変えて大変身。
3度目にドナルドソンの名を聞いたのは2013年だった。“マートン放出のトレード”に含まれていた交換要員はその年、打率.301、24本塁打、93打点を挙げてアスレチックスのア・リーグ西地区連覇に貢献し、MVP投票で4位に食い込んだ。
元三冠王のミゲール・カブレラや、若きスーパースターのマイク・トラウトらほかのMVP候補者に比べると、ドナルドソンはメジャー定着までに時間がかかった。2010年、アスレチックス傘下のマイナーAAA級で18本塁打を放って自身初のメジャー昇格を果たしたものの、2011年はマイナー暮らし。2012年は前述のように三塁手として開幕メジャー入りを果たしたものの、成績不振でマイナーに降格してしまった。
ドナルドソンが潜在能力の高さを証明したのは、その年の8月以降だった。マイナー降格前は打つ時に左足を何度も地面に着く、落ち着きのない打ち方だったが、メジャー復帰後は「一本足」とは言わないまでも、早めに足を上げて始動してボールを待つようになり、打撃成績が向上し出したのである。
「打席での球の待ち方を変えたんだ。(軸足に)力を溜める動作とでも言えばいいのかな? 今では余裕をもってタイミングを取れるし、球も良く見えるから、その球を振るのか振らないのかの判断も容易に出来るようになった」
ドナルドソンがそう言ったのは、2014年のキャンプでのことだ。前述のように、彼はその前年(2013年)、MVP投票で4位に食い込んでいる。
「自分の名前が出たのは嬉しいけど、別にそのために野球してるわけじゃないから、(MVPを逃しても)ガッカリはしなかったな」
「機嫌が良ければいいけどね」の意味。
実はドナルドソンと話す前、地元記者からは「機嫌が良ければいいけどね」と脅されていた。実父が刑務所に入っていたこと。母子家庭を理由にいじめようとしたクラスメートがいたこと。それらに対抗するため、少年時代はタフな子供でいることを強いられたこと。少年時代の逸話は、MVP投票で4位に食い込んでからよく知られるようになっていた。それに加えて口数が少なく、とくにフレンドリーでもないため、愛想が悪いというイメージが広まっていたのだ。
「自分の身は自分で守るしかなかった。だから子供の頃、スポーツをしていて自分が他の子たちの脅威になったとしても、あまり理解できなかったんだ」
とドナルドソン。実際には淡々と話しながらも、時には笑顔も見せる人だった。