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マートンの“ついで”だった男が。
遅咲きのMVP候補・ドナルドソン。
posted2015/09/27 10:30
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph by
AFLO
ジョッシュ・ドナルドソンという名を初めて聞いたのは、2008年のことだった。それは福留孝介外野手(現阪神)がカブスでメジャー挑戦を開始した年であり、ドナルドソンという名を知ったのもカブス広報からのこんなメールのお陰だった。
「シカゴ・カブスは7月8日、オークランド・アスレチックスのリッチ・ハーデン投手とチャド・ゴーディン投手をトレードで獲得しました。交換要員はマット・マートン外野手、エリック・パターソン外野手、ショーン・ギャラガー投手、ジョッシュ・ドナルドソン内野手の4人です」
当時はまさか、その2年後に阪神タイガースに入るなんて想像もできなかったが、マートンが2003年のドラフト1巡目(全体32位)指名選手で、長らく「有望株」と呼ばれ続けていたのはよく知っていた。過去数年はレギュラー獲得なるかという位置にいたものの、定着出来ずその年26歳。カブスにとってはちょうど“あきらめる時期”だったのだ。
25歳パターソンも過去数年、“カブスの有望株トップ10”に入っていた選手だったので、名前は聞いたことがあった。22歳のギャラガーも前年の夏に待望のメジャー昇格を果たしたばかりだったので、すぐに顔が浮かんだ。
まったく知らなかったのは、4人目の22歳ドナルドソンだけだった。
マートンの“ついで”で聞いたドナルドソン。
広報によると前年(2007年)のドラフト1巡目(全体48位)指名選手だという。ポジションは捕手だ。カブスにはその年、ナ・リーグ新人王になるジオバニー・ソト捕手が台頭してきたばかりで、ドナルドソンの未来は閉ざされていた。
次にドナルドソンの名を聞いたのは、2012年のことだった。シカゴのスポーツ専門ラジオ番組で「元カブスの有望株捕手だったドナルドソンが、アスレチックスで三塁手デビューしたらしい」と話していたからだ。
これも“マートンがらみ”だった。同番組で「カブスにいたマートンって覚えてるかい? 彼は日本に行ってイチローの安打記録(マートンは2010年、シーズン214安打を記録した)を破ったんだぜ」とリスナーに向かって話す中で、ドナルドソンの名前が“ついでに”出たのである。