オフサイド・トリップBACK NUMBER
初めて明かす甲府での3年間の秘話。
城福浩が語るサッカーの本質と課題。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byTadashi Shirasawa
posted2015/01/09 10:30
城福浩氏が甲府の監督に就任した2012年は、それまで14年間のJリーグでの甲府の歴史上はじめて開幕戦に勝利した年でもあった。そこから3年間右肩上がりに結果を出してきたが、2014年に甲府を去った。
監督として再びピッチに立ちたい。
――最後に今後のことをお尋ねします。甲府の監督を辞めることが発表された後、鳥栖の監督、あるいはU-18の日本代表監督になるのではないかという報道がありましたが、確定した報道はなされていません。立場的には、解説者に戻られたという解釈でよろしいですか?
「オファーがあったかどうかというコメントは差し控えたいと思いますが、ええ、現時点での立場はそうなります。
自分がもう少し若ければ、間を置かずにいろんなことにチャレンジしたと思うんですけど、監督として残された時間は潤沢にあるわけではない。次に自分が日本サッカーに対して何ができるのかを、一回リセットして考えてみたいということで、あえてこういう立場に身を置きました」
――ビッグクラブを指揮して欲しいという声や、代表に関わって欲しいという声には根強いものがあります。ご自身としては、いかがですか?
「次に仕事をするのは国内かもしれないし、国外かもしれない。いずれにしても、やはり監督としてチームを率いたいという気持ちは強いですね。甲府で学んだものを糧にして、ステップアップした舞台で自分の力を試してみたい」
――それだけ得た物は大きかった。
「サッカーに対する情熱は同じでも、その深みを知ったというか。
甲府では盛田剛平や山本英臣、石原克哉などもチームの中心として復活させることができました。彼らを通して自分の引き出しを増やすことができたし、FC東京の監督時代、ベテラン選手たちにしてやれなかったこともわかるようになった。
でも同時に、サッカーの監督をする責任の重さも痛感しました。
たとえば一人のベテランを復活させたということは、試合に出られなくなった若手もいるということになるし、ひょっとしたら引退を促さなければならないケースも出てくるかもしれない。サッカーの深さと監督の責任の重さ、そして怖さを、改めて思い知らされた3年間でもありましたね」
――全てを知った上で、あえてサッカー人として現場にこだわりたい。
「ええ。僕は監督という仕事の可能性と、その怖さもさらに深く理解した。だからこそ監督として再びピッチにたち、前に進んでいきたいと思っています」