オフサイド・トリップBACK NUMBER
初めて明かす甲府での3年間の秘話。
城福浩が語るサッカーの本質と課題。
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph byTadashi Shirasawa
posted2015/01/09 10:30
城福浩氏が甲府の監督に就任した2012年は、それまで14年間のJリーグでの甲府の歴史上はじめて開幕戦に勝利した年でもあった。そこから3年間右肩上がりに結果を出してきたが、2014年に甲府を去った。
昇格後、外国人選手が3人いなくなる非常事態。
――とは言え、2013年にJ1に昇格した後の道程も険しかった。ダビが抜けただけでなく、新たに獲得した外国人選手も期待外れに終わり、前半戦は苦しい戦いを余儀なくされている。
「ええ。3人もいなくなりましたから。ただしチームとしての蓄積があったので、次にくる選手のタイプを見定めることで対応できたんです。
たとえばダビがいた頃も、ポゼッションを高めるための練習はしていましたが、あえてラフなボールを出して走らせた方が、相手にとってより脅威になるということで、彼の動き出しに合わせるプレーも多く実践していました。
でもダビがいなくなりましたとなっても、ベースがなくなるわけではない。そもそも甲府のようなチームは、外国人選手の当たりはずれがチーム全体の命運を左右しかねない。だから日本人選手を軸に、常にチームのベースを上げ続けていくことが大事になるんです」
――そのような状況の中、パトリックが加入して4-4-2から5-4-1に移行したのが、一つの分岐点になった印象があります。
「ええ。戦術的にも転換点となりました。ただし5バックに移行したのも、ダビがいた頃からの積み上げがあったからこそ可能になったのであって、単純にパトリックが入ったからではないんです。
当時の選手たちは、守備においても攻撃においても、自分たちの力量やフィジカルの枠内で、やれることをある程度きちんとやっていた。
でも現実にはゴールが奪えないし、全員で踏ん張っていても最後に失点するケースが増えていき、4-4-2を続けていても残留できる確信が持てなくなってきた。ならば横幅68メートルのピッチを4枚で守るのではなく、5枚で守ったらどうかと。システム変更は、その発想からスタートしたんです。
実際問題、パトリックは4-4-2で使うこともできた。5-4-1に変更したのは、あくまでもチームとして積み上げてきたものがあったからなんです」