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ベンゼマ、1222分の無得点を超えて。
「デシャンとならどこまでも行ける」 

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田村修一

田村修一Shuichi Tamura

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photograph byGetty Images

posted2014/06/24 10:30

ベンゼマ、1222分の無得点を超えて。「デシャンとならどこまでも行ける」<Number Web> photograph by Getty Images

プラティニ、ジダンと受け継がれてきた10番を背負い、26歳にしてチームでは年長組に入るベンゼマ。チームが空中分解した南ア大会から4年、フランスは結束を見せることができるか。

「ネイマールは強烈だ」

――あなたはブラジル人の友人もたくさんいます。とりわけリヨンの元チームメイトで、今はフルミネンセに籍を置くブラジル代表のフレッジとは仲がいいですが……。

「彼が僕にブラジルという国を紹介してくれた。'08-'09シーズンのバカンスの間に、彼が自宅に招待してくれたんだ。とても楽しかったよ。あの国は生きる喜びに溢れている。まるで彼自身のようにね。去年のフランス代表の南米遠征で彼に再会した。クラブが分かれてからも、お互いに相手のことは気にかけている。ときどき電話もしているし。それに彼だけじゃない。ジュニーニョやカサパ、クリス……。リヨンで彼らとともに数多くのタイトルを獲得したことが、彼らとの絆を深いものにした」

――リーガにも多くのブラジル人がいますが、誰が最も印象深いですか?

「本人を傷つけないためにも(チームメイトの)マルセロと言っておくよ(笑)。でもネイマールは強烈だ。たぶん彼の世代が、近いうちに時代の主力になっていくのだろう。ただ、最も印象深い選手は誰かと言ったらダニエウ・アウベスだな。彼のプレーは凄いの一語に尽きる。あれだけの運動量で常に的確にプレーし、アシストもたくさんしている。見ていて本当に楽しい選手だ」

6歳半以来、ブラジルサッカーに惹かれ続けてきた。

――それではワールドカップの最初の思い出といえば何でしょうか?

「'94年のアメリカ大会で、ロマーリオがどの試合かは忘れたけど(準々決勝のオランダ戦)もの凄いボレーシュートを決めた。僕はまだ6歳半だった。あのときから僕は、ブラジルサッカーに惹かれるようになった。以来、ワールドカップではずっとブラジルを応援している」

――'98年のフランス大会でもそうでしたか?

「ああ、大会が始まった当初はやはりブラジルだった。友人たちとブロンでプレーしていたころは、常にロナウドのブラジル代表のユニフォームを着ていたしね。'98年7月12日の決勝はよく覚えている。僕は姉と一緒に夏休みのキャンプに参加していた。午後にはワールドカップ形式でサッカー大会がおこなわれた。誰もがフランス代表になりたがったが、僕だけは違った。ひとりブラジルのユニフォームを着ていたんだ。ようやく着替えたのは、ジズーが2点目のヘディングシュートを決めた後だった」

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