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<“五輪から3カ月”特別連載(1)> モーグル・伊藤みき 「ソチ五輪に向けた最初の滑走」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/05/17 06:00
膝の故障とプレッシャーで五輪前のW杯は散々な成績に。
時は過ぎる。
国内外のいくつかの合宿を経て、'09年12月11日、フィンランド・スオムでワールドカップが開幕する。伊藤はこの試合、18位と、予選落ちに終わる。その後のワールドカップでも成績は上がらない。オリンピックまでに行なわれた7つの試合で、ひとけた順位はわずか1試合。近年のシーズンからすれば、考えられない結果だった。
「あまり自信がない感じでコースに立っていたのを、いや大丈夫、いや大丈夫と、嘘つきながらやっていたというところがありました。それがそのまま点数に出たりしていましたね。前向きに考えれば、そういう試合をしたことなかったのでいい経験にはなりましたが、たまに心が折れたりとかありました。
日々ベストは尽くしていたとは思います。痛いところがいっぱいあって、ちゃんとやらへんと、と思うこともたくさんありました。でも、じゃあちゃんとやるってどういうこと? というところまで掘り下げる前に、ちゃんと、しっかりやらへんと、と勝手に思っていた感じでした。今思えば、ばたばたしていた、焦っていたなあというところはあります」
そして続けた。
「みんなに見せている自分とほんとうの自分との間にギャップがあって、ちょっとしんどいなというのはありましたね」
故障による遅れからの焦りと、周囲からの注目。たぶん、どこかでそのふたつは密接に絡み合い、悪循環にもなっていたかもしれない。
このような状態で迎えたのが、バンクーバー五輪だった。
予選の失敗を引きずることなく、気持ちを切り替えて決勝に。
2月13日。モーグル女子の開催日。伊藤は予選で11番目にスタートを切る。
「ばたばたして、スタートのときにいい状態ではなかったし、滑っているときもワールドカップの予選でうまくいかなかったときの感じで、ああこれは点数伸びないな、と分かって、自分で悔しくて悔しくて」
結果は15位。決していい滑りではなかったが、20位までが残れる決勝に進むことはできた。
決勝を前に、伊藤はどのようにレースに臨むか、自問自答を繰り返した。
ふと考えた。
「優勝できる力はないし、優勝するためのステップを踏めてきていたとも思えない。でも自分がやりたいのは、表彰台のいちばん高いところに乗りたいということ。だから、これは終わりじゃない、始まりなんだ、だとしたらここから4年間が始まるんだ」
すると、気持ちはうまい具合に切り替わった。
雨が降りしきる中での決勝の滑りは、予選を確実に上回っていた。大きなミスもなく、ゴール。得点は21.63。最終的に、予選から3つ順位を上げ、12位の成績を残した。