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<“五輪から3カ月”特別連載(1)> モーグル・伊藤みき 「ソチ五輪に向けた最初の滑走」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShino Seki
posted2010/05/17 06:00
これを引き際とした選手たちの一方で、ある者たちは敗れてなお、先を見据えて歩み始めた。
その中から特に注目したい3人の選手を選び、バンクーバー五輪とソチ五輪への情熱を語ってもらった。
「試練の多いシーズンでした」
モーグルの伊藤みきは、こう口にした。
3月下旬、シーズンが終わり、大学卒業を間近にした日のことだ。バンクーバー五輪の試合からひと月ほどが経っていた。
伊藤にとって、バンクーバーは、高校3年で初めて出場し、20位の成績をおさめた2006年のトリノに続くオリンピックだった。
2度目のオリンピックへ向けて、伊藤には期するところがあった。
昨夏のインタビューで語った。
「トリノで発見したのは、優勝したジェニファー・ハイルを見ていて思ったのですが、表彰台の一番上になった人がいちばん楽しめるんだということ。バンクーバーでは、私が世界一、楽しみたいですね」
トリノ五輪後の成績も、後押しとなっていた。
ワールドカップの年間総合順位は、'06-'07年が15位、'07-'08年は10位、'08-'09年が6位と、着実に成長していたのだ。
五輪前のシーズンである'08-'09年には、ワールドカップで初めて表彰台に上り、世界選手権ではモーグルで4位、デュアルモーグルでは2位となった。この成績によって、上村愛子、西伸幸とともに、バンクーバー五輪代表にいち早く内定した。
これらの活躍もあって、バンクーバーで活躍が期待される選手の一人として、注目度も上がっていった。
思わぬ膝の故障に見舞われても、焦る気持ちを押し殺した。
だが、オリンピックまでの足取りは、思い描いていたものとは違っていた。
伊藤は大学4年生だった。教員免許の取得のための教育実習があり、トレーニングとスケジュールを懸命に調整しなければいけないような忙しい日々となっていた。
それはまだ、想定していたことかもしれない。
夏を迎え、海外合宿のために向かったオーストラリアで、伊藤はアクシデントに襲われた。膝を痛めたのである。完治は長引き、のちのちまで響くことになった。
大切な五輪シーズンにもかかわらず、見舞われた故障である。練習計画にも大きな狂いが生じた。ただでさえせわしない心は、なおさらざわついた。その中にあっても、今までにないほど注目は集まる。だが伊藤は、決して代表チームの外では、感情を露わにすることはなかった。常に穏やかに、にこやかに接した。
「自分からネガティブな発言が出たら、まわりの人たちも心配するし、誰も幸せにしないと思ったんですね。なので体が痛いとか、あまり言わなかったですね」
そこに、伊藤の人柄が表れている。