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打たれた球をどう生かすか、です。
text by
永谷脩Osamu Nagatani
posted2004/05/06 00:34
「斉藤が立ち直るきっかけになったブラウンへの配球、杉内を立ち直らせた西武戦の3回、3者連続三振の配球。城島は、こちらがオヤッと思うような配球で、投手を立ち直らせてくれる」
バッテリーコーチの大石友好は、城島の大胆さと勇気のあるリードについて、こう言って褒める。捕手が一本立ちすれば、10年はチームが安泰と言われている。かつて、巨人V9時代は森祇晶(元西武・横浜監督)、西武黄金期は伊東勤(現西武監督)という名捕手の存在がチームを支えていた。その二人の捕手は、強力な投手陣の下で育ち、“安全第一”の外角主体のリードを基本としていた。
しかし、城島がドラフト1位で別府大付属から入団したときは、チーム事情は全く違っていた。弱体投手陣の負け犬根性が滲み込んだチームに、いきなり放り込まれたのだ。
「こいつを一人前にしなければいけないという使命感みたいなものがチーム全体にあった」と自ら獲得に出かけた王監督は言った。それは城島も、痛いほどに感じていた。
「僕を皆して育てようという雰囲気がチーム全体にありました。王監督も1年目だったし、3年目には若菜嘉晴さんを呼んでくれたし、田村藤夫さんをロッテから獲ってくれました。若菜さんがコーチとして教えてくれる一方で、田村さんからは実戦で学ぶことが多かった。だから、僕も何とか一人前になろうと必死だった。
僕が入団した年に、工藤さんが西武から来て、翌年には武田一浩さんが日ハムから来た。この二人にピッチングというものを教わることが多かった。最初は嫌がられていても、くっついていけば仕方がないかという感じで許してくれた。そこで話してくれたことが、投手をリードする上で、後になってずいぶん役に立ったと思っている。投手が捕手を育てるというけれど、正にその通りだと思う。また、その逆も言えて、捕手が投手を育てるということも言える。僕は今年で10 年目を迎えます。自分がそうやって、工藤さんにくっついて野球を教わったのだから、今度は後輩が自分のところに来てくれるならば、いつでも教えようと思っているんです」
入団当初の城島をコーチしていた若菜は、「城島の育った家庭というのが素晴らしい。父親が絶対的な存在で、人生の師は父親、野球の師は王さん、としっかり躾けられている。人の言うことに対して、素直に聞く耳を持っていた」と評価をしている。その素直さゆえ、工藤や武田といったベテランの野球に素直に疑問をぶつけ、受け入れることができたのだ。
「工藤さんからは右打者の外角のカーブの使い方というのを教わりました。武田さんは右打者の内角スライダーです。どの場面で、どういうときに使えばいいか、実際の場面で見ることで勉強できた。どこで緩い球のサインを自信を持って出せばいいか、何もストライクだけで勝負をする必要はない、ということなどを、早い時期に詰め込むことができたのは幸せだった。二人のピッチングを見て組み立てを考えたとき、1球にこだわるより、1イニング、1試合、1シーズンというトータルで考えなければいけないということが分かりました。だから、1球のこだわりよりも、1球を次に生かすにはどうしたらいいかにこだわるようになれたのです」