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<アルペンスキーの革命児> 皆川賢太郎 「『80%の滑り』の境地」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph bySatomi Tomita
posted2009/12/26 08:00
不本意な結果に終わったソルトレイクの直後、大怪我を負う。
世界でも注目される選手となった皆川は、ワールドカップでもたびたび入賞し、大きな期待を集めて'02年のソルトレイクシティ五輪に出場する。皆川自身、「メダルを獲ります」と抱負を口にして臨んだ大会だった。だが、出場したスラロームの1回目でコースアウトし、失格に終わる。
「長野はともかく、ソルトレイクは期待して見てくれる周囲の目線と自分の気持ちも同じだったというか、要はまわりの人が騒いでくれることで一流になったつもりでいたんですね。そのシーズン、すごく練習もできて、かなり追い込んだつもりでした。でも自分の力の出し方がよくわかっていなかった。振り返って考えてみると、ワールドカップで何度か入賞したのも、狙って入っていたわけじゃなかった」
不本意に終わったソルトレイクシティ五輪の翌月には、追い討ちをかけるように、大きなアクシデントに見舞われる。左膝靭帯断裂の怪我を負ったのである。
「世界一になる瞬間は自分には与えられていると思っている」
手術後、立つだけでも1週間を要したとき、「とんでもない怪我をしてしまったんだ」と実感した。
膝が曲がらない。走れない。やりたいと思う動きができない。ベッドから起き上がろうとしても、足を下ろすことすら出来なかった。もう一度競技に戻れるとは、到底思えなかった。
辞めようと思ったことも当然あった。それでも、あきらめきれなかった。
「うーん……やめる勇気もなかったんですよ。なんて言えばいいんだろう、皆川賢太郎さんって何やってるんですかと聞かれて、あるいはキャリア終えて、スキーでこういう活動をしていたと嘘なく言えるか、胸を張れるのか、という気持ちになったんです。
あと、自分の同級の選手たちって、その国の何年に一人といわれている人たちばかりで、ワールドカップの今までの歴史を塗り替えてきたような連中なんです。それでも彼らに勝って、世界一になる瞬間は自分には与えられていると思っている。それを味わってみたい、そこまでいってみたいという思いはありますよね」