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<アルペンスキーの革命児> 皆川賢太郎 「『80%の滑り』の境地」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph bySatomi Tomita
posted2009/12/26 08:00
昨季は右膝の負傷で低迷したが、皆川は泰然自若の構え。
トリノ五輪後も、好調を保った皆川だったが、'06年12月、前とは反対の足、右膝前十字靭帯損傷の怪我を負っている。昨シーズンはその影響で結果は出なかったが、悲観はない。
「怪我も2回目なので、経験もあります。こういうふうに時間を使っていくと、少しずつ自分がよくなって、欲しい能力が手に入るという感覚をすでに持っているので、焦りはありませんね」
4度目のオリンピックとなるバンクーバー五輪まで、あと4カ月。
「年内にワールドカップが2戦と、ヨーロッパカップが数戦あります。ワールドカップでも当然結果を出したいし、ヨーロッパカップでは、勝ち味を経験しておきたい。今現在は順調に来ていますが、たとえば、緊張して『あそこは難しそうだな』と思うだけで、発揮できる能力のパーセンテージは落ちるじゃないですか。そうした部分は、人との競い合いの中でしか成長しないものだし、自分の感覚の中でできていたとしても、最後はやっぱり人との勝負だと思うんですね。だからこそ、オリンピックまでに勝ち味をつけておきたいですね」
バンクーバーで成し遂げたいことは、と尋ねると、こう答えた。
「純粋な気持ちとして、やっぱり一番になりたいですけどね。ちっちゃなときから願っていたことが叶う瞬間を味わいたい」
いつもの言葉、「自分の滑りを表現したい」とは異なる答えだった。皆川は続けた。
「でも、そう簡単ではありません。自分の今の立ち位置もあるし、ゲームのときは自分が思っているような環境じゃないかもしれない。スタート番号の問題もある。そのようなことも含めて、とにかく、自分を信じることができれば能力はどんどん出る、そういう状態でオリンピックに出ることができたらいいかなと思いますね」
そのとき、全開の「80%の滑り」を、バンクーバー・ウィスラーで、きっと目にすることができる。
皆川賢太郎(みながわけんたろう)
1977年5月17日、新潟県生まれ。日本体育大学を経て、現在、竹村総合設備所属。'98年長野五輪で五輪初出場を果たすも途中棄権。'00年W杯のスラロームで2度6位入賞、世界に注目される。'02年ソルトレイクシティ五輪は失格だったが、'06年トリノ五輪のスラロームで4位に入り日本人として50年ぶりの入賞。173cm、82kg