「(箱根駅伝に)初出場してから、一つ大きな仕事をやり遂げたっていう充実感と同時に、自分がこれから成長するためにどうすればいいのかっていうことを漠然と考えていました。その中で、選手とかコーチ陣とか、彼らの方が成長速度が速いなってモヤモヤしたものがあって——」
駅伝界では異例ともいえる他の大学への監督の“移籍”。自分自身でゼロから作り上げた駿河台大学を去り、芝浦工業大学という箱根駅伝に出場経験のないチームへと移籍した経緯を、徳本はこう話し始めた。
駿河台大学での13年間。当初部員3人だった弱小チームを、一時は80人の大所帯を抱え、2022年に箱根駅伝出場を果たすまでに成長させた。2024年には2回目の出場も果たしたが、徳本の心にはある“違和感”が芽生えていたという。
「初出場までは本当に必死に、その目標を達成するためだけにやってきて、熱量もあったし、自分が監督として成長している感覚も含めて充実感があったんです。初出場のあとはそれがないわけではないんですけど、鈍化しているというか、自分の成長速度が遅くなっていることに違和感を持っていました」
自分の人生にとってなにがいいのか。そう考えていた時に芝浦工業大学からのオファーが届いた。「まだまだ自分が追い込まれて、その中でこそ何かを生み出せる環境に身を置きたいなって——」。動画では、決断に至った経緯の詳細や学生の反応なども語っている。

芝浦工業大学は、いわゆる「箱根常連校」とはまるで違う。徳本曰く入部する学生も「駅伝は趣味みたいな感覚」で、理系の大学であるがゆえか駅伝に全力を注ぐ前提ではなかったという。
「来てすぐに『箱根行く気あるか?』って訊いて、ちゃんと答えられるやつって少なかったんですよ。例えば青山学院に行くような選手、駒澤に行くような選手は『箱根に出る』って決めつけているような選手ばっかりですけど、芝浦工業大学にはそんな選手は一人もいないんで。もうほんとに、難題だらけだなって。ある意味の楽しさと、ある意味の落胆と」
だが、徳本はその環境を言い訳にするつもりはない。
「理系の大学で箱根駅伝出たんですよね、ほんとすごいですよねって(言われるだろうから)。それをやってのけた時の、周りの先入観がひっくり返った時のこと考えてみろって、もうそれこそ“脳汁”が出るじゃないですか」
今回の転身を「防衛ではなく階級を上げる」と表現した徳本監督の”挑戦”とは、そのモチベーションはどこにあるのか——。
動画インタビューでは、“徳本節”炸裂で以下の内容に触れている。
- なぜ徳本監督は芝浦工業大学を選んだのか
- 駿河台大学13年の苦労と学び
- 芝浦工業大学でのモチベーションは?
- 理系学生×駅伝=? 選手たちの素顔と伸びしろ
- コーチとして山川達也に声をかけた理由
- 「友達ではなく仲間に」徳本流チームづくり
- 徳本監督の “脳汁”が出る瞬間
- 准教授になったワケ、陸上だけではない“もう一つの顔”とは?
- 徳本監督にとって箱根駅伝とは?
学生時代から異端のスターだった男の決断の背景がとてもよく理解できるロングインタビュー、ぜひご覧ください。(5月7日取材)
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