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《波乱の箱根駅伝》4区では2校が棄権…中央大学、32年ぶり総合優勝の破天荒<2区松田和宏、4区榎木和貴、8区川波貴臣の証言>

2024/01/03
8区で優勝を決定づける走りをした川波貴臣
下馬評は早大、山梨学大、神奈川大、中大の「4強」。2区でエース対決に沸いたが、4区で2校がまさかの棄権。混沌から抜け出したのは、31年優勝から遠ざかる中大だった。

 1996年の第72回箱根駅伝は何かとトピックの多い大会だった。

 この大会は早大、山梨学大に中大、神奈川大を加えた4強による優勝争いと目されていた。直近4年間は早大と山梨学大が覇権を分け合い、両校のエース、渡辺康幸(早大)とステファン・マヤカ(山梨学大)が最終学年を迎えていた。しかし、山梨学大と神奈川大は、揃って4区で途中棄権に見舞われた。また、1区で駒大の藤田敦史、3区で東洋大の酒井俊幸と、現在の監督が1年生として初出場している。

 結果を先に言えば、この大会は中大が制した。6連覇を成し遂げた第35~40回大会以来となる32年ぶりの栄光だった。

Getsuriku
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 それ以前の中大も安定して上位に入っていたが、なかなか頂点が遠かった。

「私が高校生の頃から中大はいつも3位、4位争いをしていました。何かが足りない。それはエースの存在なのかなと感じていました。中大にも強い先輩がいましたが、流れを変えられるような存在がいなかった」

 1993年に中大に入学した現・創価大監督の榎木和貴は、当時をこう振り返る。

「同期の松田とは“俺たちがチームを引っ張って優勝につなげないと中大に来た意味がない”と常に話していました」

 松田とは、学法石川高校の教諭として相澤晃、遠藤日向ら多くのトップランナーを指導した松田和宏のこと。箱根駅伝2区を4年間担った松田と、4年連続区間賞の榎木は、1年生の冬に関東学連の選抜メンバーとしてポルトガル遠征に参加するなど、共に下級生の頃から将来を嘱望されていた。

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photograph by Getsuriku

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