シドニー五輪の井上康生以来、5大会ぶりの柔道100kg級金メダリストとなったウルフアロン。母・美香子さんが語る、その強さの原点とは。
東京五輪の優勝は、これまでの優勝とは違う味わったことがない独特な気持ちで……。ただ嬉しいというだけではなく、「よく頑張ったな」など、いろいろな気持ちが込みあげてきました。コロナ禍でどういう練習をしていたのかは全く見えていなかったので、主人と一緒に心配でドキドキして。五輪前は緊張してアロンの試合日まで、テレビは報道番組を含めて一切見てませんでした。大会後に本人にそう話すと、「俺なんか2カ月間寝られなかった」と言っていたんです(笑)。
うちは男ばかりの三兄弟ですが、主人は学生時代にアメフトを、私はバスケットボールをやっていたので、子供たちにはスポーツをやってもらいたいとは思っていました。最初は体力をつけるために水泳をやらせてました。柔道を始めたのは6歳の時に講道館の春日クラブに行き、練習後にコーチから「面白かったか」と聞かれ、その場の雰囲気で「面白かった」と答えてしまったのがきっかけ。ひとりで通うのが大前提だったのでそれが出来るかも確かめ、「本当にやるの?」と聞くと「やる」というので始めさせました。その時約束したのは小学6年生までは止めないこと。嫌だからといって途中で止めたら、この先何をやっても続かないと思ったからです。
アロンは小さい頃からとにかくおしゃべりで目立ちたがり屋。子供も大人も関係なく「アロンはね」「アロンはね」といろんな人に話しかけていました。兄弟の中では真ん中なので、主張しないと存在感が薄れてしまうと思っていたのかもしれません。柔道を始めてもしゃべりっぱなしでした。たまたま私が講道館に見学に行った時、しゃべってばかりで真面目に練習をしていないことに腹が立ち、帰ってしまったことがあったんです。本人も私がいなくなったのに気が付いて「やばいな」と思ったようだけど、家に帰ってきてからしっかり怒って。同居していた私の両親が「もういいだろう」と止めに入るほどでした。私が子供に何か言う時は命令はしないで、「どうするの?」と問いかけて、自分の言葉で言わせるようにしていました。だから怒るときも「これってどうなの。いいのかな、わるいのかな?」と聞いて。だから怒るのも長かったんでしょうね(笑)。
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