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【東海大相模】「意識が飛ぶんじゃないかと…」豊田寛を変えた門馬敬治監督の“3年間で唯一”のマンツーマン練習《現役選手が語る「恩師の教え」》
2024/08/12
今季、待望のプロ初安打を放った27歳は、阪神の熾烈なレギュラー争いに名乗りを上げた。その原点は、名門の4番を打ったことにあった。(原題:[“打って勝つ”ために]豊田寛(東海大相模)「2人だけの室内練習場で」)
鮮やかな水色に、タテのピンストライプ。あのユニフォームに袖を通すべく東海大相模を目指す球児も多い。しかし、豊田寛にとっての憧れは最大のライバル校だった。
「小さい頃から横浜高校しか見ていなくて、中学の監督に行きたいって言ったら、『(横浜高校に)すごいキャッチャーが来るから行けない』って言われて。ベンチに入れなくてもいいから甲子園には行きたかったので、神奈川だったら東海大相模かなと」
有力選手とポジションが被ったことによって、東海大相模への進学を決めた豊田。捕手として入部したが、同学年の二枚看板・小笠原慎之介(中日)、吉田凌(ロッテ)の投球に恐怖を覚えたという。
「これは無理だなと(笑)。どうしようかという時に、門馬(敬治)監督から『外野やるか?』って言われて、そこからですね」
徹底的に叩き込まれる「常にひとつ先の塁を狙う姿勢」。
豊田が東海大相模で最も衝撃を受けたのは、走塁のレベルの高さだった。
「入った時の先輩たちの走塁の姿勢とか、攻撃的な野球っていうのは、見ていて本当にレベルの違いを感じました」
門馬監督が掲げる“アグレッシブ・ベースボール”を初めて肌で感じた瞬間だ。日々のシート打撃の中でも走塁練習、冬の間にはスライディングや帰塁の練習を徹底的に繰り返した。
「野球人生で一番、走塁練習はやったかな。相手の隙を突くというのは口酸っぱく言われていて、できなくてコーチによく怒られていたんですけど、練習や試合を重ねていく中で身についていきました」
東海大相模の“常にひとつ先の塁を狙う姿勢”は、日々の反復練習の中で自然と育まれ、チームに浸透していった。
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photograph by Katsuro Okazawa / Hirofumi Kamaya