暑い夏が来ると、背中からジワッと汗が出る。あの夏からもう15年だ。大藤敏行監督率いる中京大中京が甲子園で全国の頂点に立った。エースで4番としてけん引してきた堂林翔太は優勝の瞬間、右翼にいた。
6点リードした9回に再びマウンドに上るも、2アウトを取ってから四球と二塁打。そしてさらに三塁打を打たれた。4点差に迫られ、死球を与えたところで降板した。
自責の念と安堵で涙が止まらなかった。
9回2死から逆転負けしたセンバツ準々決勝の記憶が、優勝を目前にした重圧とともに右肩に乗っていた。右翼にいながら、アルプススタンドにいるような感覚で、じりじりと追い上げる日本文理の攻撃を見つめることしかできなかった。最後の打球がライナーで三塁手のグラブに収まると、重圧から解放された。
歓喜に沸くナインの中で堂林は大藤監督のもとへ走り、頭を下げた。「すみませんでした」。監督は何も言わず、背中をたたいた。そのぬくもりによって、堰を切ったように涙が止まらなくなった。
9回の登板は、堂林が自ら志願したものだった。8回の攻撃中、意を決して監督に伝えた。「投げさせてください」。エースとして投げてきた自負。投手として最後の試合と覚悟していたこともあった。だが、チームは堂林だけのものではない。「ダメだ」。大藤監督は即答した。
ところがしばらくして、監督の声が堂林に向けられた。「キャッチボールして来い」。
監督の言葉に姿勢を正しながら、肩をつくり始めた。今思うと、信じられない行動だと分かる。当時もキャッチボールをしながら、この決断は監督の信念に反するのではないだろうか、とも思った。だからこそ、送り出してくれたマウンドで期待に応えられなかった自責の念、そしてチームが勝ち切ってくれた安堵が一気に押し寄せ、涙となってあふれ出た。
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