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【花咲徳栄】「もう一度ピッチャーをやってほしい」野村佑希を変えた高3での“配置転換”と“熱き伝言”《現役選手が語る「恩師の教え」》

2024/08/09
高校2年時に4番打者として夏の甲子園を制覇した野村
埼玉県勢初の快挙に4番として貢献。思えば予想外の出来事の連続だった。「初対面で怒られた」監督との思い出を語る。(原題:[抜擢に戸惑いながら]野村佑希(花咲徳栄)「もう一度ピッチャーをやってほしい、と」)

 すべては“偶然の出会い”から始まった。

 2015年、群馬県の太田市リトルシニアに所属していた中学3年生の野村佑希は、遠征で埼玉県を訪れていた。出場した大会の初戦で敗れ、敗者復活戦に回ったためだ。そして、この試合を観戦していたのが、埼玉県内屈指の名門、花咲徳栄高校を率いる岩井隆監督だった。

「群馬県のシニアは当時は2チームしかなかったので、関東圏でよく試合をするんです。花咲徳栄がたまたま近くで試合予定だったんですけど、中止になったそうです。それで岩井先生が、教え子さんが監督をするチームの視察に来ていた。その相手チームに僕がいたんです」

Hirofumi Kamaya
Hirofumi Kamaya

 投手、さらに主砲を務める野村が、岩井の目に留まった。アメリカ生まれ群馬県育ちの野村と、埼玉県で高校野球部を率いる岩井は、こうして互いを知ることとなる。ただ、挨拶に訪れた岩井の第一声は意外すぎるものだった。

「怒られました(笑)。いきなり『手見せろ』って言われて、手のひらを見せたら、『ピッチャーは爪を見せるんだぞ』って。普通に爪切りで切っていたので、『ピッチャーなんだから、ヤスリでもっと整えろ』って言われました」

 油断も隙もあったものではない。言い換えるなら、岩井はそれだけ細かく選手のことを見る指揮官だということだ。初めて見たばかりの野村に目を付けたのも、自身のチームにピタリとハマる人材だと見抜いたからに他ならなかった。

「花咲徳栄は甲子園に出場はできても、勝つことができていなかった。それまでは投手力中心で野手は小柄な選手が多かった。だから、僕みたいな右投げ右打ちの大きい選手が必要だったと、後々聞きました」

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photograph by Hideki Sugiyama / Hirofumi Kamaya

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