#1102
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【明徳義塾】「普通のやさしいおじさん」馬淵史郎68歳が今も選手を惹きつける理由<U-18日本代表・丸田湊斗、前田悠伍らの赤裸々証言>
2024/08/12
世界の壁に跳ね返され続けていた高校日本代表。その指揮を任され、悲願の初優勝へと導いたのは、変わりゆく高校野球界の“対極”に位置する監督だった。選手たちは何を思い、いかにして戦っていたのか。(原題:[日本代表メンバーが語る]馬淵史郎(明徳義塾)「時代も価値観も超えて」)
やや芝居がかってはいたが、そのことが逆に冗談ではないのだろうなと思わせた。
「……怖かったです」
そうこぼしたのは早稲田大1年生の高橋煌稀だ。一昨年、仙台育英の二枚看板の一人として、夏の甲子園で胴上げ投手になった長身右腕でもある。インタビュー中、感情をほとんど表に出さなかったが、そんな高橋がうっすらと笑みを浮かべていた。
高橋が振り返ったのは昨年夏、台湾で開催されたU-18W杯でのことだ。
日本代表はスーパーラウンドの3戦目で優勝候補の地元・台湾(チャイニーズ・タイペイ)とぶつかった。台湾応援団のマイクでがなる独特の大声援が球場を覆い、日本人選手たちの神経を逆なでする。そんな中、先発した高橋は2者連続で四球を与えた上に、3盗塁をからめられるなどして、初回にいきなり3点を失った。
「調子がよくなくて、ストライクを投げたくても投げられなかったんです」
W杯は日本の高校野球とは異なり、監督が自らマウンドへ行くことが許されている。高橋の乱調を見かね、監督の馬淵史郎がベンチを飛び出した。馬淵は小柄だが、闘争心の権化のような男だ。高橋はマウンドで馬淵にこう言われたのだという。
「ストライク入れろ、みたいな」
この回想はかなりマイルドに加工されている。大会直後に横浜高校の緒方漣を取材した際、そのとき馬淵は「ビビってんのか?」と高橋に軽く詰め寄ったと話していた。高橋に確認すると、こう首肯した。
「そういう感じでしたね」
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photograph by Tadashi Shirasawa