昨年の秋、阪神を戦力外になった高山俊は東京・日大三高の小倉全由前監督に電話をかけた。人生の岐路に立つ教え子への恩師の思いが声色から伝わってきた。
「すごく心配してくださりました。野球ができる環境を探していただいたりして、(オイシックス新潟への入団が)決まってからも連絡させてもらいました。小倉監督も、僕に野球を辞める選択肢がないというのを察してくださっていて『頑張れよ』と」
助け合い、全員で乗り越える「地獄の冬合宿」。
高山は高校時代、小倉監督の背中を見て育った。13年前、全国制覇した3年夏の甲子園までの日々を思い起こした時、忘れられない光景がある。12月に行われる「地獄の冬合宿」でのことだ。延々と続く守備練習で白球を捕る。ふと前を見た。休むことなくノックバットを振る小倉監督の手は血が滲み、グリップを赤く染めていた。
「監督は手袋をつけずに打っていました。真剣にノックを打ってくれていて、こっちも頑張ろうと思いましたし、先にくたばってたまるかという気持ちもありました」
冬合宿の起床は早朝5時。夜明け前の6時から12分間走を行い、打撃や守備、夕食後の素振りまで体を動かし続ける。1日2000スイングに迫る特訓が「強打の日大三高」を生む。夏の甲子園の初戦から決勝までを想定した2週間、冬なのに脱水症状で倒れる選手が出たほど。年末まで続く猛練習の意義を高山は実感をこめて語る。
「みんなで助け合わないと、できる練習量ではありません。みんながやっているから負けられないし、守備もみんなが捕れるまでやる。自然と応援するし、足を引っ張れません。三高が秋や春に負けても夏に強いのは、そういうものがあるからです」
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