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【日大三】「表裏のない人間になれ」“サブキャラ”高山俊が見た小倉全由監督の「血が滲んだバット」《現役選手が語る「恩師の教え」》

2024/08/11
日大三高時代、2011年夏の甲子園を制した高山俊
かつて阪神で新人王を獲るなど活躍した男は今、新潟の地で選手として戦い続けている。「サブのキャラだった」という高校時代を振り返る。(原題:[父親のような背中]高山俊(日大三)「同級生の中では断トツに怒られた」)

 昨年の秋、阪神を戦力外になった高山俊は東京・日大三高の小倉全由前監督に電話をかけた。人生の岐路に立つ教え子への恩師の思いが声色から伝わってきた。

「すごく心配してくださりました。野球ができる環境を探していただいたりして、(オイシックス新潟への入団が)決まってからも連絡させてもらいました。小倉監督も、僕に野球を辞める選択肢がないというのを察してくださっていて『頑張れよ』と」

助け合い、全員で乗り越える「地獄の冬合宿」。

 高山は高校時代、小倉監督の背中を見て育った。13年前、全国制覇した3年夏の甲子園までの日々を思い起こした時、忘れられない光景がある。12月に行われる「地獄の冬合宿」でのことだ。延々と続く守備練習で白球を捕る。ふと前を見た。休むことなくノックバットを振る小倉監督の手は血が滲み、グリップを赤く染めていた。

Hirofumi Kamaya
Hirofumi Kamaya

「監督は手袋をつけずに打っていました。真剣にノックを打ってくれていて、こっちも頑張ろうと思いましたし、先にくたばってたまるかという気持ちもありました」

 冬合宿の起床は早朝5時。夜明け前の6時から12分間走を行い、打撃や守備、夕食後の素振りまで体を動かし続ける。1日2000スイングに迫る特訓が「強打の日大三高」を生む。夏の甲子園の初戦から決勝までを想定した2週間、冬なのに脱水症状で倒れる選手が出たほど。年末まで続く猛練習の意義を高山は実感をこめて語る。

「みんなで助け合わないと、できる練習量ではありません。みんながやっているから負けられないし、守備もみんなが捕れるまでやる。自然と応援するし、足を引っ張れません。三高が秋や春に負けても夏に強いのは、そういうものがあるからです」

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photograph by Katsuro Okazawa / Hirofumi Kamaya

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