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「ヒジの靭帯は切れてるよ」松坂大輔がTJ手術を決断した意外な瞬間…支えになった桑田真澄の言葉とは?~連載「怪物秘録」第44回~

2024/05/28
'11年シーズン途中、松坂は靱帯再建手術を受けることを決める。しかしそれは長いリハビリと、元に戻るか分からない不安との戦いの幕開けにすぎなかった。

 2011年6月10日、松坂大輔はトミー・ジョン手術を受けた。その前日、松坂は気晴らしに買い物へ出た。海沿いのショッピングモールで、松坂は卓球台を見つける。すかさずラケットを手に取って、「よし、やるか」と笑った。子どもの頃から何万回も振り抜かれてきた松坂の右腕。傷跡のない右腕で最後に振ったのが卓球のラケットだったことが、あまりに切なかった。

◆◆◆

 そうでしたっけ……卓球したのは記憶にないなぁ(笑)。でも手術すると決まった日に僕、キャッチボールをしたんです。すぐにトレーナーが止めに来ましたけどね。

「おい、なぜ投げてるんだ」って(苦笑)。あれは、手術しなくても投げられるかもしれないという、最後の確認のキャッチボールでした。僕なりに足掻いていたんです。

 そもそも最初は2週間のノースローで治ると言われたんですよ。その後に手術という話になってしまいましたが、もし手術の必要がない状態なら、あの日がちょうど2週間でしたから、もしかしたらノースローで治っちゃった、なんてことがあるかもしれないと思って投げてみたんです。でも、痛かった。短い距離で軽く投げてるのにこんなに痛いんだと思い知らされましたし、次の日はもっとヒジの状態が悪くなって、これはメスを入れるしかないとハラを括りました。そのとき、ヒジに謝りました……ここまでよく投げてきてくれたねって。

 ヒジの張りが収まらないという身体が出すサインに僕が気づかないふりをしていたんでしょうね。何となく、まだ大丈夫だと思って投げていましたが、さすがに限界でした。思えば術前の最後となった試合で打たれたこと(5月16日のオリオールズ戦で5回途中までに5安打、7四球、5失点)が不幸中の幸いだったかもしれません。もしうまく誤魔化せていたら、きっとその次も投げていたし、そうなったらヒジがどうなっていたのか、わかりません。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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