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「術後も右ヒジはずっと痛かった」松坂大輔のTJ手術から365日目…復帰のマウンドで抱いた「失望」とは?〜連載「怪物秘録」第45回〜

2024/06/12
TJ手術を受け、過酷なリハビリを行いながら迎えた'12年シーズン。マイナーで調整登板するも、かつての感覚は戻らない。そんな中、メジャー復帰が決まる。

 右ヒジにメスを入れた後、松坂大輔が初めてキャッチボールをしたのはトミー・ジョン手術から4カ月後の2011年10月3日。年が明けた2012年1月30日に初めてブルペンへ入った。3月16日に打撃練習に登板、4月12日にはマイナーの練習試合で実戦に復帰する。4月23日、1Aの公式戦で先発し、その後は2A、3Aで中4日のマウンドに3度、立った。しかし、結果は思わしいものではなかった。

◆◆◆

 術後の復帰を前に僕自身、なかなか「よし」とは思えませんでした。ストレートも変化球の精度も、これくらい投げられればメジャーに上がれるというところに達していれば、『大丈夫です』とボビー(当時のレッドソックス、ボビー・バレンタイン監督)に言えたと思うんですけど、まったく言おうと思えなかった。こんな状態で上がっても見切り発車でしかないと思っていました。手術をしてから1年が経ってない時期で、自分の状態を把握できていなかった。投げてみないとわからない感じで、いいと思っても投げているうちに感覚が変わってくるんです。たぶん、ヒジをかばっていたんでしょうね。練習のときにはできていても、試合になると悪いクセが戻ってしまう。そのたびにイラッときていました。

手術後も痛む右肘に、我慢と苛立ちの繰り返し。

 思えば僕のリハビリは我慢と苛立ちの繰り返しでした。リハビリ中、左で投げようとしたら、PT(理学療法士)にマジで止められたこともありましたね(苦笑)。わざわざ左用のグラブをオーダーして、左でキャッチボールをしていたんです。それを見つけたPTが「このグローブは没収だ」と叫んで、左用のグラブをロッカーから持ち去りました(笑)。僕としては「右手を使わなきゃいいんだろ」って、左手を右手と同じ感じで使えるようになってやろうと本気で思っていたんです。投げることだけじゃなく、箸を持ったり、字を書くことも右手と同じ感覚でできるようになりたいと練習していました。意地を張っていたのかな……結局、左では山なりで相手の捕れる範囲に投げられる程度でしたね。

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photograph by Kiichi Matsumoto

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