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「今はタイムを求めすぎている」岩水嘉孝、花田勝彦、米重修一が提言した“箱根駅伝から世界へ”実現の道すじ《徹底論考/2013年》

2023/12/17
モスクワ世界陸上1万m決勝。宇賀地、大迫、佐藤の3選手が出場も入賞ならず
世界は遠くなったのか―。日本長距離が苦戦する昨今、それでも、世界で戦う日を夢見て走り続ける若者たちがいる。“その日”を経た先人たちが、彼らに伝えたい思いとは。(初出:NumberPLUS<90回記念完全保存版>箱根駅伝1920-2014[先人たちの経験に学ぶ]世界と戦うその日のために)

「箱根から世界へ―」

 それは、選手にとっても指導者にとってもごくシンプルな思いである。だが、箱根駅伝が国内有数のスポーツイベントになり、周囲からの注目度も過熱している現在、その道が見えにくくなっているのも確かだろう。

 しかし、そんな中でも世界へ羽ばたく選手はいる。かつて世界の舞台で強豪たちと戦い、現在は新たな才能育成を試みようとする3人の箱根駅伝出身ランナーが、それぞれの戦いから得たものとは何なのだろうか。

 大学4年生の'01年から'09年まで、3000m障害で世界選手権5大会と五輪2大会に出場した岩水嘉孝。彼にとっても、箱根駅伝は憧れの場だった。

岩水嘉孝 ©Toshiya Kondo
岩水嘉孝 ©Toshiya Kondo

「高校時代は1500mと3000m障害の選手だったんですけど、箱根駅伝で走りたいから強豪校へ、と思って順大に進学しました。だから、大学時代も箱根に夢中でしたね」

 同学年の奥田真一郎や野口英盛ら4選手とともに“順大クインテット”と注目された岩水は、1年生から1区を走り優勝に貢献した。

「4年の時は肺気胸で走っていないので箱根自体にはいい思い出はないんです。たまたまチームが強かっただけで……。僕自身はそんなに活躍できていないんですよ」

 こう語る岩水だが、2区を走った3年時も優勝。駒大との「紫紺対決」と注目された4年間で、経験したのは1位と2位だけという幸運な選手生活を過ごした。

「中距離の選手が距離を延ばすのは大変なことで、覚悟がいるんです。でも僕の場合は、箱根を目指すことで体力や持久力がついて可能性を広げられた。それに順大は箱根だけに特化した大学ではなくてトラック種目もしっかりやるので、日本インカレでは3年間、3種目を走っていたんです」

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photograph by Hiroyuki Nakamura

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