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「池田は衝撃だった」「蔦さんは“さわやかイレブン”以降…」野中徹博と水野雄仁が“宿命の一戦”に燃えた夏【1983年のエース対談】

2023/08/10
対談で高校時代を振り返る水野雄仁(左)と野中徹博。2012年収録
KKの台頭前夜、甲子園の主役はこの2人だった。3連覇を狙った池田・水野と、最大のライバルと目された中京・野中。’83年夏、白熱の投手戦を演じた両エースが、高校野球全盛期の記憶を語り合った。(初出:Number809号[ライバルエース対談] 「宿命の一戦に燃えた夏」)

 1983年の夏は、高校野球がコペルニクス的転回を遂げた年であったかもしれない。

 その主役を務めたのは蔦文也監督の下で夏、春、夏と史上初の甲子園3連覇に挑んだ徳島県の池田高校だった。金属バットの申し子と言われたやまびこ打線は、ウエイトトレーニングで鍛えあげた腕力で、打球をグラウンドに叩きつけて次々とヒットを生み出し、今までの甲子園戦法を根底からひっくり返していった。前年夏の大会では荒木大輔の早実を撃破して日本一に輝き、そしてエース・水野雄仁を擁したこの年の春のセンバツ大会も、危なげなく紫紺の優勝旗を手にしていた。

 そしてこの夏、前人未到の3連覇に挑んだ池田の最大のライバルと目されていたのが、野球王国・愛知の名門、中京高校だった。

 名将・杉浦藤文監督が率いた中京は、前年夏に2年生エース・野中徹博を擁してベスト4に進出。その野中が3年生となったこの夏は、鉄壁の投手力と守りの野球で激戦区・愛知を勝ち上がって甲子園に駒を進めてきた。

 順調に勝ち上がった両校は、8月19日、準々決勝で激突。事実上の決勝戦と言われたこの試合は、新旧の高校野球の激突でもあった。

 それから29年。巨人での現役生活を終えていまは評論家として活躍する水野と、阪急から台湾プロ野球、そして中日、ヤクルトでのプロ生活後、サラリーマンとなった野中が初めてこの一戦を振り返った。

 二人の話は、まずは決戦の前日、準々決勝のカードを決めたくじ引きへと遡った。

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photograph by Takashi Shimizu

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