#809
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「あんときの俺、ひどいキャプテンだったな」東北高・ダルビッシュ有が抱いた“18歳の葛藤”【マカベッシュ、高井雄平らの証言】
2023/08/12
2004年夏、絶対的な優勝候補とされながら3回戦で初出場校にまさかの敗北を喫した東北高校。なぜ、ダルビッシュは勝てなかったのだろうか。謎を解く鍵は、彼が持つ「傑出した才能」にあった。(初出:Number809号 ダルビッシュ有[チームメイトが語る] 「知られざる18歳の葛藤」)
大沼尚平はダルビッシュ有のことを「彼」と呼んだ。もしくは「彼」が掲載されている雑誌を手で指して、主語を補った。
その理由を「呼んだことがないので」と言い、照れくさそうに笑った。
「僕と彼がもっとしっかりコミュニケーションをとれてたら勝てたのにって、しょっちゅう言われましたね。あの頃は、ほんと、僕も子どもだったと思います」
確かに、負ける姿が想像できないチームだった。ダルビッシュが最上級生になったとき、'04年夏の東北高校は、限りなく完璧に近いチームに思えた。宮城大会は、決勝戦の20─2というスコアが象徴しているように、まるで大人と子どもの戦いだった。
甲子園でも、1回戦の北大津戦は、13─0で圧勝。大敗するチームのパターンはだいたい決まっていた。ダルビッシュの存在ばかりに気を取られて序盤に東北打線につかまり、気づいたときにはもうダルビッシュ対策どころではなくなってしまうのだ。
当時の東北は、決してダルビッシュだけのチームではなかった。
県内のライバル校、仙台育英が不祥事によって'02年の野球部員の募集を停止した結果、県内の有望選手が東北に集中した。1年秋から「3番・センター」に定着し、俊足好打の外野手としてプロから注目されていた大沼も、仙台育英からの進路変更組だ。
大沼は「彼がいなくても、そこそこ勝てたと思いますよ」と胸を張る。その論議は、記者たちの間でも何度もされていた。スーパースターは諸刃の剣だ。名刀にもなるし、妖刀にもなる。だったら、と。
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photograph by Toshihiro Kitagawa