悲願の日本一を目指し、主将として臨んだ最後の夏、超高校級スラッガーを待ち受けていたのは、甲子園を喧騒に包んだ「究極の作戦」だった――現役を退いたいま改めて振り返る、あの日の意味。(初出:Number834号[スペシャルインタビュー]松井秀喜「あの夏があったから」)
高校野球とは敗北のスポーツかもしれない。
1987年にPL学園で春夏の甲子園大会を連覇した立浪和義は、その年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した。そして翌年、プロ1年目のスタートを切った直後に、高校野球とプロ野球の敗北の意味の違いに大きなカルチャーショックを受けたのだという。
「高校3年生のときは予選から全勝して春夏連覇したし、1年間を通じてもたった2回しか負けたことがなかったんです。夏の大会前の練習試合で1回。それと国体で1回。その2回だけだった」
当時のPL学園は立浪の他にも左右のエースと言われた野村弘樹(大洋─横浜)と橋本清(巨人)、野手にも片岡篤史(日本ハム─阪神)らその後プロ入りして活躍した選手がゴロゴロいた超高校級のチ―ムだった。
勝って当たり前。しかしそんなチームでも選手を駆り立てる一番の原動力は、負けることへの恐怖だったと立浪は言う。
「特に夏の大会は負けたらそこですべてが終わる。それだけ負けるということの重みというか意味が大きいんですね。だから僕らも常に心の奥底では負ける恐怖と戦っていた部分はあったし、それが高校野球なんです」
ところがプロに入った最初のオープン戦で、チームはいとも簡単に敗れた。
「あまりにボロボロ負けるんで、『何でこんな負けるんやろ!』って、すごいショックを受けました。同じ優勝を目指してやっている野球ですけど、それが僕の最初に感じた高校野球とプロ野球の違いだったんです」
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photograph by Naoya Sanuki