特別増刊

記事を
ブックマークする

<日本ハム・リーダーが語る激闘の歴史> 稲葉篤紀 「やっと10年。まだまだこれから」

2014/02/20
北海道に移転してからの輝かしいチームの足跡は、
この男のファイターズでの歩みとほぼ重なる。
頼れる兄貴分として10年目のシーズンを迎える稲葉が
厳しい戦いを振り返り、未来へのメッセージを語った。

本日発売の雑誌NumberPLUS「北海道日本ハムファイターズ 
11年目の未来設計図」
より、チームリーダー、稲葉篤紀選手の
インタビューを公開します。

 札幌ドームのスタンドで“稲葉ジャンプ”が起こるたび、いまのぼくにとってなくてはならない応援だと感じています。いつもああしてファンのみなさんが自分の力以上のものを引き出してくれる。もしあの応援がなかったら、いいところでそんなに打てていないでしょう。それほど強い後押しになっている。

 あれが始まったのは2006年のオープン戦のころ、Kスタ(クリネックススタジアム宮城)だったかな。最初のころはバラバラにジャンプしていたから、何が始まったんだと思ってました。それが、だんだん一体化してきて、自然と打席にいるぼくもテンションが高まり、ボルテージが上がって、それまでに感じたことのない力が漲るようになった。

“稲葉ジャンプ”が打たせてくれたサヨナラホームラン。

 例えば、リーグ優勝した'09年の5月3日、札幌での西武戦で飛び出したサヨナラホームラン。あれこそ、まさに“稲葉ジャンプ”に打たせてもらった一発です。ぼくは開幕してから調子が悪く、チャンスでまったく打てていなかった。そんな中、5-5の同点で延長12回までいったあの試合、もう引き分けかという雰囲気で、4時間を超えているのにまだジャンプしてくれるファンがいる。みなさんの最後の力を振り絞った応援と、きょうこそ何とかしなきゃいけないというぼくの気持ちが、バチッ! と、最高の形でピッタリ合わさったとき、ホームランが飛び出した。

 あのときはヒーローインタビューで思わず涙が出ました。お立ち台に立つと、ファンのみなさんの笑顔が目に入るでしょう。ああ、いつもこれだけの人たちが不甲斐ないぼくを応援してくれてるんだと、そう思ったらグッと胸に込み上げてくるものがあってね。

特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

photograph by Takanori Ishii

0

0

0

前記事 次記事