「身体だけでなく、頭も使って走りたい!」
そんなランナーの皆さんに向けて、
雑誌Number Do『大人の山登り。~ゼロから楽しむ入門編~』では、
「走る」を自分なりのやり方で追い求めてきた、
日本記録保持者、大学教授、そして作家の思考法を特集しました。
今回は、その中から、30歳を過ぎて初マラソンの舞台に立ち、
日本マラソン史に名を刻んだ高岡寿成さんの“教え”を公開します。
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「走る」を自分なりのやり方で追い求めてきた、
日本記録保持者、大学教授、そして作家の思考法を特集しました。
今回は、その中から、30歳を過ぎて初マラソンの舞台に立ち、
日本マラソン史に名を刻んだ高岡寿成さんの“教え”を公開します。
2時間6分16秒――。
10年前に高岡寿成が樹立したマラソンの日本記録は、いまだに破られていない。
最も速く42.195kmを駆け抜けた日本人はどのような考えの下に、練習を積み、レースに臨み、そして結果を残したのだろうか。
現在はカネボウのコーチを務める高岡を、チームが合宿を組む菅平高原に訪ねた。
トラックを専門にしていた高岡がマラソンに転向したのは、2001年秋のことだ。31歳を目前にしての遅いスタートだった。
ほぼ無名の選手だったが、龍谷大4年時に5000mで日本記録を出し、一躍注目を浴びる。
'93年にカネボウ入社。当初、伊藤国光監督(現専修大監督)と決めた目標は、長距離種目の日本記録を破ることと、五輪の金メダル獲得だった。
予選落ちに終わるが'96年アトランタ五輪で1万mの代表となると、'00年シドニー五輪では5000m、1万mに出場して、1万mで7位入賞。五輪の男子1万mでの入賞は日本人4人目の快挙でもあった。
'01年には中山竹通の持っていた1万mの日本記録を14年ぶりに更新。27分35秒09は今でも残っている。
マラソンに転向して、わずか2度目のレースだった'02年10月のシカゴマラソンで日本最高記録を樹立。その後も、3レース続けて2時間7分台をマークするなど抜群の安定感を誇った。トラックでスピードを窮めてから、マラソンに転向して成功する先駆者となった軌跡だけを見れば、いかにも戦略的にランナーとしての道を歩んできたかに見える。だが、実情は少し異なる。
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