甲子園の風BACK NUMBER
「痛み止め注射6カ所に、さらしを巻いて」疲労困憊で大阪王者・PL学園を破り甲子園へ…浪商・牛島和彦が投げ抜いた方法「投手は自分だけだから」
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元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byAFLO
posted2026/09/17 11:02
1979年、センバツで決勝に進出し、夏への期待が高まる浪商。しかし一人で投げ抜いてきた牛島の肉体は満身創痍だった
「痛み止めの注射を打ち、さらしで腰部を固定しながらマウンドに立ち続けるうちに、痛みがなくなっているのを感じました。『少し楽になってきたな』と思い始めた頃に連戦になって、さらしなしで投げることにしました」
準々決勝は泉南に7対0で7回コールド勝ち。準決勝で対戦した北陽には2対0で完封勝ち、牛島は14個の三振を奪っている。決勝戦の相手はPL学園。前年の夏の甲子園を制した強敵だ。
大阪王者・PL学園との決戦
1回表に浪商が5点を奪って試合を優位に進め、終盤に3点を加えて9対3で勝利した。三番の小早川毅彦に3安打、全部で10安打を許しながらも牛島は完投勝ち。五番に座った牛島は2打点をマークした。
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浪商としては、1969(昭和44)年以来、10年ぶりの夏の優勝だった。
「腰はだいぶんよくなっていたけど、決勝戦の頃は体がバリバリでした。PL学園には小早川をはじめすごいバッターばかり。『長打を打たれんかったらええやろ』と開き直ってとにかく低めに投げました」
50年近くが過ぎても、あの日の球場の雰囲気を忘れることはない。
「日生球場の雰囲気はよく覚えています。毎年、内野席にしか観客を入れないのに外野席を開放して、それでも超満員。札止めになったと聞きました。
PL学園の先発ピッチャーがバタバタしている間に5点取れたんで、気持ち的には少し楽に投げられました。近畿大会で勝ったことはありますけど、それは甲子園出場が確定したあとの試合。だから、この日の勝利は格別でした。強いPL学園に勝って甲子園出場を決めたわけやからね」
〈つづく〉

