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「痛み止め注射6カ所に、さらしを巻いて」疲労困憊で大阪王者・PL学園を破り甲子園へ…浪商・牛島和彦が投げ抜いた方法「投手は自分だけだから」 

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元永知宏

元永知宏Tomohiro Motonaga

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posted2026/09/17 11:02

「痛み止め注射6カ所に、さらしを巻いて」疲労困憊で大阪王者・PL学園を破り甲子園へ…浪商・牛島和彦が投げ抜いた方法「投手は自分だけだから」<Number Web> photograph by AFLO

1979年、センバツで決勝に進出し、夏への期待が高まる浪商。しかし一人で投げ抜いてきた牛島の肉体は満身創痍だった

「どうしてかはわからないけど、ノーヒットノーランをしたんですよ。そうしたら、『あいつは投げられるのにサボってるだけだ』と言われてしまい……。そんなことはないんですよ。少しよくなってはいたけど、抑えられたのは本当にたまたま。そのあと、腰の状態はまた悪くなってしまいました」

 前年秋の大阪府大会、近畿大会、そしてセンバツで酷使されたツケが回ったことは間違いない。公式戦に加えて、招待試合での登板によって、身長177センチ、体重は65キロもなかった細身のエースは苦境に立たされた。

 夏の甲子園の出場権のかかった大阪大会までもう時間はない。完全に治癒する前に投げたことで調整は難しくなった。

痛み止め注射とさらしで大阪大会へ

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「そこから、一からやり直しですね。『大阪大会はもう無理かな……』と思っていたので、チームメイトには『無理やぞ、俺はもう投げられへんかも』と言っていました。

 試合前に痛み止めの注射を6カ所に打って、当時はコルセットがなかったから、さらしを巻いてマウンドに上がりました。そんな状態だから、体全体を使っては投げられない。『どんどん打ってくれ』と思いながら投げていました。初戦は2対0くらいで勝ったんですけど、10安打くらい打たれたはず。野手たちに『俺は腰痛いんやから、もっと点を取ってくれよ』と言ってましたね」

 そんなコンディションでは、コントロール重視で打たせるピッチングをする以外に方法はなかった。

「だから、あの大会で8試合くらい投げて、フォアボールはほとんどなかった。思うように投げられないからストライク先行でいくしかない。とにかく、ピッチャーは自分だけだと思っていたので、できるだけ痛みが出ないように、疲労が残らないように。そうしたピッチングがプロ野球に入ってから役に立ったんですけどね」

 コントロールと投球術を備えた牛島だからできた芸当だろう。

【次ページ】 大阪王者・PL学園との決戦

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