博多の人・王貞治BACK NUMBER
「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕”
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喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byToshihiko Iikubo
posted2026/06/25 11:02
なぜ、買収されたのはホークスだったのか。なぜ、移転先は福岡だったのか。王貞治の運命を動かす決断の内幕とは
ダイエーが、現在のドームと、その横に遊園地や動物園、ショッピングモールなどを備えた「ファンタジードーム」を建てるという「ツインドームシティ構想」を公表し、シーサイドももちの一角、16.9万平方メートルの土地の譲渡を福岡市側に申し入れたのは、プロ野球実行委員会とオーナー会議で、南海ホークスの参加資格をダイエーに譲渡、フランチャイズを福岡県に変更することが承認された1988年10月1日からおよそ2カ月後となる11月25日。福岡市からダイエーの子会社で、当時福岡事業の土地・建物を所有していた「福岡ダイエー・リアル・エステート」への301億7000万円での売却が成立したのは、翌1989年9月のことだった。
ダイエーの店舗出店は「土地資本主義」ともいえる、中内の揺るぎない信念がベースにあった。まず土地を購入し、そこに店を建てる。開店によって店の周辺を含む地価が上昇すると、それを担保に新たに銀行から借り入れを行い、新たな資金を確保して、次の出店や新規投資を行っていく。このやり方は昭和の高度成長期のように、土地も物価も、さらには賃金も上がっていく、右肩上がりの経済が前提となるやり方でもある。
超ビッグプロジェクトにふさわしい監督を
後にダイエーが経営難に陥るのは、もちろん経済状況の変化や消費者の時代における嗜好の変化やトレンドをキャッチし切れなかったという側面もあるが、最大の要因は1995年1月17日に発生した「阪神・淡路大震災」だった。ダイエーの中心的存在でもあった神戸・三宮の本店が倒壊。バブル経済の終焉も重なって土地の価格が大きく下落。担保としていた土地の“焦げ付き”が、連鎖的にあらゆるところで発生してしまったことだった。
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ただ、球団買収は1988年10月。昭和最後の年はバブル景気の真っ只中で、ダイエーは本業の小売業だけにとどまらず、事業の多角化を積極的に進めていた頃だった。
「ドームができる、土地買収をするとかというのは、1988年の7月とか8月くらいから、少しずつそういう話があったんですよ」
つまり、ダイエーの本拠地移転は、よかトピア博覧会の跡地という広大な土地取得を見込んだものであったことは、この瀬戸山の証言からも十分に推察できる。
当初の事業計画では、1期でドーム(1993年開業)、2期にホテル(1995年開業)、ダイエーの経営難で最終的には頓挫した“もう一つのドーム計画”が3期に分かれていた。その総予算は4900億円にも上ったという、超ビッグプロジェクトだった。
そして中内は、そのスケールにふさわしい「格」を持った野球人を、新生・ホークスの監督に迎え入れたいと考えていたのだ。
〈つづく〉

