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「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕” 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byToshihiko Iikubo

posted2026/06/25 11:02

「もう、ロッテは断れ」「神戸には、熱がない」ダイエーはなぜ南海を買収し、なぜ福岡を選んだのか…福岡ダイエーホークス誕生の“内幕”<Number Web> photograph by Toshihiko Iikubo

なぜ、買収されたのはホークスだったのか。なぜ、移転先は福岡だったのか。王貞治の運命を動かす決断の内幕とは

 瀬戸山と鵜木は、南海球団の買収を進める“特命”を帯びていた。

 その時、ダイエーに球団売却の話を持ちかけてきたのはロッテだった。瀬戸山によれば鈴木と一緒に、ロッテ本社の副社長で、当時の球団社長だった松井静郎とも会ったという。

 時を同じくして、もう1球団、中内㓛のもとへ球団を譲渡したいという申し入れがあった。

売却を持ちかけてきた2球団

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「もう、ロッテは断れ」

 中内の即断による“軌道修正”で、買収のターゲットは「南海」へと変わった。想定されていた本拠地は、中内の故郷・神戸にあるグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)だった。本格的に球団買収のプロジェクトが動き出したその当時、福岡の球団誘致の機運が盛り上がっているという話を、瀬戸山は耳にする。

 1950年に「西鉄クリッパーズ」が発足、翌51年から「西鉄ライオンズ」に球団名を変更。以来、西鉄から太平洋クラブ、さらにクラウンライターと繫いできた博多の「ライオンズ」だったが、1978年オフ、クラウンライター・ライオンズが西武に買収され、本拠地は福岡から埼玉・所沢へと移転した。

 以来1979年から、福岡は“球団不在”の時が続いていた。そこで1981年頃から、福岡青年会議所(福岡JC)が音頭を取る形で、プロ野球球団の“再誘致”へ向けた活動が進められ、福岡JCが中心となって結成された「市民球団誘致市民会議」の会員は5万人に到達。それは、福岡にもう一度、プロ野球のフランチャイズを呼びたいという地元の切なる声だった。

「こういうのも、ちょっと球団経営に関して勉強したら耳に入ってくるじゃないですか。神戸は、球団の誘致熱とか一切なかったんです。グリーンスタジアム神戸にプロ球団を、というのも聞こえてこない。神戸は阪神タイガースで十分だったのかもしれないですね。それに引き換え、福岡はすごく盛り上がっていたんです」

 福岡は、どうなんですか? 瀬戸山は鈴木と鵜木に、その“自説”を伝える一方で、南海電鉄の本社に秘密裡に通う日々が続いていた。

【次ページ】 なぜ、福岡だったのか

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