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“箱根駅伝で6位激走”日本学連選抜の執念…極寒の旭川で走り続けた大学院生の証言「地方にはスポットが当たらない」12月の合宿で起きた“ある事件”
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小堀隆司Takashi Kohori
photograph bySankei Shimbun
posted2026/01/30 11:31
2004年の第80回箱根駅伝で日本学連選抜チームのアンカーを任された片岡祐介。当時は北海道教育大旭川校の大学院に通う修士2年生だった
12月の合宿で起きた“ある事件”
はたして伊東輝雄監督(京産大)はこの時、どのような基準で選手を選んだのか。当時の専門誌『箱根駅伝2004 陸上競技マガジン12月号増刊』にこんなコメントが載っている。
「選考に当たっては、単に5000mや10000mの成績では決めませんでした。20km、箱根の区間をしっかり走れるかを基準で選ぶことは、事前に選手たちにも話していましたし、ハーフマラソンの成績も重視して、悪くいえば、独断と偏見で選ぶと話してきました」
監督が重視したのは、箱根ディスタンスとも呼ばれる、20km以上のロードをしっかりと走りきれるだけの走力だった。京産大が全日本大学駅伝で活躍していた頃、箱根駅伝の予選会に出場してもそこそこやれるのではないかという声もあったが、最長区間(19.7km)でも20kmに満たない全日本と箱根では、そもそも求められる能力が違うのだろう。
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他ならぬ京産大の中川が、「箱根予選会でも通用するのでは」という憶測を否定した。
「僕らが普段磨いていたのはスピードなんです。駅伝になったら速い者から並べて、その中で長い距離が得意なやつを(距離の長い)アンカー(区間)に置く。そういうシンプルな戦法で戦っていたのが京産や立命なんですよ。スピードランナーをなんとか持たせて10km走らせるチームと、箱根の20kmを意識して鍛えているチームとでは根本の設計図からして違う。普段鍛えている心拍数域が違うから、みんな不安はあったと思います」
日本全国から選び抜かれた精鋭と言うと聞こえは良いが、こと箱根駅伝に関して言えば「未経験者の寄せ集め」も同然だった。期待よりも不安が勝っていたというのが、偽らざる本音であっただろう。ましてや箱根には、特殊区間と呼ばれる山の上り、下りがある。春の発表からわずか半年余りで準備しなさいというのは、あまりにも酷な話だった。
選手たちも手探りだったが、それは首脳陣も同じである。伊東監督も2人のコーチも、学生時代には箱根駅伝を選手として走っている。その経験があるからこそ、チームビルディングの難しさを痛感していたに違いない。
12月上旬、千葉の検見川にある東大グラウンドを借りて、1泊2日の選抜合宿が組まれた。16名のメンバーが全員顔を合わせるのはこの時が初めてだ。そこでメンバーの心に火をつける、ある出来事が起きる。その衝撃はまさしく「事件」と呼べるほどのものだった。
<続く>

