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“箱根駅伝で6位激走”日本学連選抜の執念…極寒の旭川で走り続けた大学院生の証言「地方にはスポットが当たらない」12月の合宿で起きた“ある事件”
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小堀隆司Takashi Kohori
photograph bySankei Shimbun
posted2026/01/30 11:31
2004年の第80回箱根駅伝で日本学連選抜チームのアンカーを任された片岡祐介。当時は北海道教育大旭川校の大学院に通う修士2年生だった
選抜メンバーに入れるのは16名のみ。広島の合宿に入る前も、帰ってきた後も、その限られた枠を目指して、候補選手たちは独自に研鑽を積み重ねていった。首脳陣にアピールするために、片岡は当時、こんな工夫をしたという。
「今の時代と違って、どういう選考をするのかとか、ほとんど情報がなかったんですね。とにかく自分は、長い距離も走れるってところを見せたいと思って、それで大学院2年の時は日本インカレの出場種目をハーフにしたんです。前年度に5000mで入賞しているのに、あえてそっちの方へ持っていった。もう必死でしたね」
選考条件に示されていたのは、地区インカレや日本インカレの成績に加え、出雲駅伝や全日本大学駅伝の成績が考慮されること。そしてもう一つ、11月29日に日体大で開催される10000mの記録会が最終選考の場になるということだった。
候補メンバーが自己ベストを連発…鬼気迫る記録会
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このラストチャンスをものにするために、ボーダーライン上にいた選手はみな、そこに向けて調整を続けていた。岡山大の末吉勇もそうだ。
当時、中国・四国地方では徳山大や広島経済大が強く、岡山大は出雲駅伝にも全日本大学駅伝にもチームとしての出場は果たせなかった。10000mの選考基準は29分40秒以内に設定されていたが、ライバルに勝つためには1秒でも速く走ることが必須だった。
実際に、日体大の記録会では候補メンバーによる好記録が続出した。片岡も末吉もこの時、選考基準を上回る自己ベストを叩き出している。
選考を除外され、独自の調整を続けていたキャプテンの中川智博(京都産業大)は、グラウンドの片隅でレースを見守りながら、彼らの鬼気迫る走りに圧倒されたという。
「29分10秒とか20秒あたりを連発してましたもんね。今の記録からするとたいしたことはないですけど、当時はインパクトがありました。で、最後の組で白濱(三徳)が28分台を出すんです。みんな集中力がすごかったですよ。そこからじゃないですか、チームが箱根に向けて一つになっていったのは」
翌30日には、日本学連選抜チームの正式メンバーが発表された。
地方の大学から選ばれた11名と、そこに箱根の予選会で敗れた関東の大学から、やはりインカレや予選会の成績で選ばれた5名が加わり、16名の即席チームが結成されたのだ。「発表の前日は眠れなかった」という末吉も、「最後まで不安だった」という片岡も、無事に名を連ねていた。
