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「選手より走れる監督」上野裕一郎がついに立教大を箱根駅伝に導くも…解任に「何やってんだ!」それでも「最後まで一緒に戦いたかった」理由
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佐藤俊Shun Sato
photograph byYuki Suenaga
posted2026/01/23 17:03
上野裕一郎監督の指導で立教大は悲願の箱根駅伝出場を果たした。しかしその上野が自身の過ちで去り、ひとつの時代が終わろうとしている
チームは、上野が解任される前に提示していたプランをベースに走り、6位で予選会を突破、2年連続で箱根駅伝出場を果たした。箱根駅伝の本選は総合14位だった。
4区10位とまずまずの走りを見せた中山は、卒業後に西鉄に入社し、競技を続けている。
ひとつの時代の終わり
今年行われた第102回箱根駅伝で、立教大の出場は4年連続となった。
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予選会は10位とギリギリの通過。本戦は総合20位に終わった。2024年4月に監督に就任した髙林祐介は「キツかったですね。4年生が頑張って20位という結果は受け止めないといけないですし、ここからどう這い上がっていくか。強い4年生が抜けるので、一からいろいろと考えていかないといけない」と、厳しい表情で振り返った。
故障の影響があり2区18位という結果だった4年生エースの馬場賢人は、「まったく走れませんでした」と落胆の表情を浮かべた。
馬場は、上野が監督時代にスカウトした最後の世代の選手だ。
「上野さんの時代から、2年の時に監督がいなくなって、髙林監督が来て……4年間いろんな経験をさせてもらいました。やっぱり、予選会前に上野さんがいなくなった時が一番大変でした。信頼していたので、それはないでしょって思いましたが、今、考えるとそれもなかなか経験できないこと(苦笑)。
最後の箱根では後輩たちに何も残すことができず、申し訳なかったですが、個人的には4年間連続して箱根を走れましたし、自分は立教に来て、良かったなと思っています」
馬場たち4年生の箱根が終わり、上野がスカウティングした選手はみな、立教大を卒業することになる。困惑と混乱からスタートした箱根駅伝の事業だったが、改めてその歴史を紐解けば、上野が箱根駅伝出場に果たした貢献度は非常に大きい。彼なしではおそらく、箱根駅伝出場も今の立教大もなかっただろう。
上野の挑戦は自らの過ちにより、道半ばで強制的に終わりを告げたが、学生たちの心の中には上野と過ごした時間が永遠に共有されるはずだ。
そして、これからは髙林監督のスカウトした選手たちでチームが編成され、立教大は新たな襷をつないでいくことになる。
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