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「高3がもったいなかった」世代別日本代表+選手権連覇直後の全治8〜10カ月「1つ悪かったのは…」超高校級DFが泣いた大ケガと“28歳の戦力外”
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生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byJ.LEAGUE
posted2026/01/18 11:03
2004年ナビスコカップ、鹿島の金古聖司は当時ヴィッセル神戸のカズとマッチアップする
「でも、大会後にトルシエや選手たちも病院に来てくれたんです。そこで、また頑張ろうって気持ちになったのを覚えています。鹿島にもまだ入団しているようでしていないような状況でしたから」
高3の1年間で「一つ悪かったこと」とは
加入した鹿島アントラーズでの初年度は、ほとんどの時間をリハビリに費やした。そして、この苦しい時間が、金古に「高3の1年間」を冷静に見つめ直させた。
「一つ悪かったのは、プロに行けばそのまま活躍できると思ってしまったこと。1年早くプロになった代表のチームメイトはもう活躍している。だから自分も、と勘違いしたんです。まだ高校生だった僕は、もっともっと努力しなきゃいけなかった。高校で同世代とプレーすると、それなりにできてしまうじゃないですか。だから叶うなら、あのタイミングで厳しい環境に行きたかったなと」
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金古の同級生でも、清水エスパルスでプレーする市川はもちろん、同じ東福岡の千代反田もアビスパ福岡の特別指定を受けてプロで揉まれていた。クラブから自宅が遠かった金古にそのチャンスがなかったのは不運だった。
また、怪我にも長年悩まされた。鹿島では怪我からの復帰後もなかなか出場機会を得られず、やがて神戸、福岡、名古屋とクラブを転々とする。そのなかで膝の前十字靭帯は2度断裂し、第5中足骨も2度骨折した。万全の状態でシーズンを過ごした記憶はないという。
「高校時代に練習参加したJクラブでは、割と普通にプレーできていたんです。それがいざプロになると、できていたことができなくなっている。でも、怪我のせいなのか、自分の実力不足なのかわからない。ずっとその狭間で苦しみました」
28歳の戦力外…鹿島は指導者転身を打診したが
選手権連覇達成を果たした東福岡から鳴り物入りで加入して10シーズン、28歳になった金古は鹿島から契約満了を通知された。秋田豊の背番号3を引き継いだ2004年こそ22試合に出場したが、20試合を超えたのはそのシーズンのみ。計4クラブで残した通算成績は、J1リーグ73試合5得点に過ぎなかった。
「戦力外は覚悟していたし、移籍はしたけど全部レンタル。鹿島には10年間も面倒を見てもらって、感謝しかなかったです。でもまだ引退は考えていなかったので、さあチームを探さなきゃと」
だが、怪我のイメージが定着してしまった金古にオファーはなかなか届かなかった。鹿島からは指導者への転身を打診されたが、選手としてやり切った感覚はまだ持てない。将来が見えなくなっていたその時期に、妻からかけられた「ある言葉」が彼の進む道を定めていった。〈つづきは下の【関連記事】へ〉

