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「高3がもったいなかった」世代別日本代表+選手権連覇直後の全治8〜10カ月「1つ悪かったのは…」超高校級DFが泣いた大ケガと“28歳の戦力外” 

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生島洋介

生島洋介Yosuke Ikushima

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photograph byJ.LEAGUE

posted2026/01/18 11:03

「高3がもったいなかった」世代別日本代表+選手権連覇直後の全治8〜10カ月「1つ悪かったのは…」超高校級DFが泣いた大ケガと“28歳の戦力外”<Number Web> photograph by J.LEAGUE

2004年ナビスコカップ、鹿島の金古聖司は当時ヴィッセル神戸のカズとマッチアップする

 インターハイの1回戦では、左足首の三角靭帯を切るケガを負う。テーピングでガチガチに固定してプレーを続けたが、その試合で敗退。その後はリハビリに費やす日々が続き、チームの遠征にも行けなかった。

 それでも、周囲は「超高校級」の彼を放っておかなかった。怪我が治った10月には、U-19日本代表としてタイで開催されたアジアユースに出場。さらに12月には、シドニー五輪を目指すU-21代表にも選出され、清水エスパルスの市川大祐と並ぶ最年少でアジア大会に参戦した。高校でキャプテンを務めながら、世代別代表でもステップアップし、継続招集される。

じつは“最後の選手権”もケガを抱えていた

 東福岡を離脱する時間は、必然的に増えていった。

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「怪我も含めて、チームを離れることが多かったですね。迷惑をかけてしまっただけに、最後に優勝できたのは、やっぱりうれしかったです」

 選手権連覇を目指し、再び迎えた国立。準々決勝で室蘭大谷を退けると、準決勝で滝川第二を、決勝では前年と同じく帝京を倒して連覇を達成。インターハイの1回戦敗退に続き、全日本ユースは出場すらできなかったチームにとって、大きなタイトル獲得となった。

 だが実は、金古はこの選手権も怪我を抱えたままで出場を重ねていた。1回戦で左ふくらはぎに肉離れをおこし、翌日にはかかともつけないほどの痛みに襲われていたのだ。ピッチに立てたのは、鍼治療で痛みを抑え込んでいたからだった。

大会直前の大ケガ…だが準優勝後、トルシエと仲間が

 無理を重ねていた体は、その翌月に行われたU-20代表活動で、ついに悲鳴をあげる。

 ワールドユースの直前キャンプでブルキナファソに滞在中、左膝前十字靭帯を断裂し、半月板も損傷する大怪我(全治は一般的に8~10カ月とされる)を負ってしまった。帰国してすぐに手術を受け、大宮の病院に入院すると、高校の卒業式にも出られず、ワールドユースもベッドで見ることになる。

「もちろん出たかったです。U-17でもU-20でも、自分は結局、世界大会には手が届かなかった。あの舞台で準優勝までいったんですからね。夜な夜な試合を観るのは辛かったです」

 小さなモニターの中では東福岡の1年先輩である本山雅志や手島和希をはじめ、小野伸二や高原直泰、小笠原満男らが溌剌とプレー。決勝まで続いた「黄金世代」の快進撃は、日本サッカー界に準優勝の栄誉をもたらした。「やっぱり悔いはあります」と本音を漏らしつつ、金古は代表の仲間たちや指揮官の計らいについてこう振り返る。

【次ページ】 高3の1年間で「一つ悪かったこと」とは

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