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春高バレー直前の訃報「先生いるかな…つい教官室を見ちゃう」故・畑野監督と目指した“高校3冠”、重圧を乗り越えた鎮西高校の1カ月 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byHiroyuki Nakamura

posted2026/01/14 11:00

春高バレー直前の訃報「先生いるかな…つい教官室を見ちゃう」故・畑野監督と目指した“高校3冠”、重圧を乗り越えた鎮西高校の1カ月<Number Web> photograph by Hiroyuki Nakamura

春高バレー優勝候補と目されたが、準々決勝敗退となった鎮西高校。2年生エースの一ノ瀬漣は試合後に涙を流した

 通夜や告別式を終え、気持ちに整理をつけようとしても「当たり前にいた人」がいない現実を受け入れるのは簡単ではない。ふとした時に、気づくと畑野先生を探してしまうと明かしたのは、腰痛でインターハイを欠場したセッター福田に代わって出場した2年生の木永青空だ。

「筋トレしながら『今日は先生いるかな』って、教官室を見ちゃうんです。授業が終わって、昼に体育館へ向かう階段を昇る時も先生の車あるかなと確認するけど、車がない。僕は中学の時から畑野先生に教わりたくて、指導してもらえること、一緒にバレーができることに憧れてここに来たから、畑野先生からの一言一言が本当に響いた。インターハイの時も『もっと自信を持て』って何度も椅子から立ち上がって、声をガラガラにしながら怒られた。その分、先生への思いも強かったから、今でも先生がいない実感がないんです」

 それでも、春高はやってくる。選手も宮迫監督も、大きな目標に向かって進まなければならない。

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 鍬田憲伸(サントリーサンバーズ大阪)が主将を務め、当時1年生の水町泰杜(ウルフドッグス名古屋)も在籍した2018年の春高バレー制覇以降、鎮西がセンターコートに立ったのは4度。舛本颯真(中央大)がエースとして活躍した2022、23年は2年連続の準優勝という劇的な結末も相まって、常に優勝争いを繰り広げる常勝軍団というイメージが特に近年は強く刻まれている。

 しかし、鎮西にとって意外にも「高校3冠」はまだ到達したことのない目標だった。

 過去を振り返っても、1993年春高とインターハイ準優勝に始まり、1995年インターハイ初優勝など全国大会決勝に進出した回数は20回を超える。昨夏制したインターハイが開催された松江市は、奇しくも鎮西が全国初制覇を果たした場所。優勝直後の取材で畑野監督が「まだ優勝よりも準優勝のほうが多いから、あと1回(優勝)すれば、準優勝と並びますね」と嬉しそうに語っていたことを思い出す。

2年生エースの約束

 畑野監督と目指した3冠を達成したい。特にその覚悟を口にしていたのが、2年生エースの一ノ瀬だった。

「去年はダブルヘッダーで悔しい思いをして、自分を成長させないといけないと感じさせてくれた大会が春高でした(準々決勝敗退)。エースとしてやっていくための心構えや見せるべき姿を一番強く感じさせられたし、(今年も)2冠で終わったら意味がない。優勝して、畑野先生に3冠の報告をしたいし、自分たちにとっても、鎮西高校の歴史の中でも、特別な春高になると思うんです」

 一ノ瀬が臨んだ“特別な春高”。待っていたのは、あまりに受け入れがたい結末だった。〈つづき→後編

#2に続く
「今思えば、それが遺言でした」急逝した高校バレー名将が最後に託した“小さな2人のキーマン”…逸材2年生エースを支えた常勝軍団・鎮西の結末

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