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「僕はポンコツだったので…」宮浦健人を成長させた“もう一人の西田”「彼の背中を追いかけてよかった」鎮西高校の厳しかったキャプテンに今も感謝する理由
posted2026/01/06 06:01
当時高校2年生の宮浦健人が「大きな影響を受けた」と明かすのが、鎮西高校でキャプテンを務めた西田寛基(上)だった
text by

米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Sankei Shimbun
鎮西高校の象徴である黄色いユニフォームが、人生の転換点。宮浦健人(ウルフドッグス名古屋)はそう振り返る。
鎮西高時代、頼れるエースとして春高バレーで準優勝し、早稲田大学では日本一に。2021年から日本代表に選出され、24年のパリ五輪に出場。昨年の日本代表ではネーションズリーグ、世界選手権の全試合に先発出場した。大阪ブルテオンの西田有志と双璧をなす、日本を代表するオポジットだ。
その宮浦が、「自分のキャリアの中でも特に大きな影響を受けた選手」と語るのが、もう一人の西田だ。鎮西高の1年先輩で、現在はサントリーサンバーズ大阪でマネージャーを務める元セッターの西田寛基である。
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「西田さんからは、ハードワークすること、一生懸命取り組むこと、そういう大事な部分をすごく学びました」
「キャプテンになってから怖かった」
西田とは小学生の頃から同じチームでプレーした幼馴染だったが、鎮西高時代、キャプテンとして模範を示そうと懸命に振る舞う西田の姿に大きな刺激を受けたという。
「ちっちゃい頃からの関わりなんですけど、高校に入って、西田さんがキャプテンになってからは、怖かったです(苦笑)。すごく厳しかったので。でも、彼がすごく自主練をしていたので自分も影響を受けたし、主体的にやるようになりました。それまでは与えられた練習をやるという感じだったんですけど、ちゃんと深く考えてやらなきゃいけないんだなと感じさせられて。
高校時代は厳しかったなという思い出が一番なんですけど、彼の背中を追いかけてよかったなって。それがあるからこそ、今があるので、本当に彼に出会えてよかったです。僕は本当にポンコツだったので」
ポンコツ? 耳を疑って思わず聞き返した。
「ポンコツでしたよ(笑)。中学生の時は名の知られた選手ではなかったし、本当に高校で成長できたので。彼がいたから今があると言っても過言じゃないぐらいです」

