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「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令が青学大“ダメダメな1年生”の意識を変えた「甘さを痛感」“弱かった青学大”が箱根駅伝に出るまで
text by

小堀隆司Takashi Kohori
photograph byTakuya Sugiyama
posted2026/01/11 11:26
青山学院大学の原晋監督。箱根駅伝出場を目指した“黎明期”から、選手の資質や性格を見極める眼力は光っていた
「主務になりたい」まさかの申し出に原監督は…
次こそは箱根駅伝に出るぞ。チームの誰もがそう意気込んでいた矢先、岡崎さんは大きな決断をする。選手を辞めて、主務になりたい、と監督に申し出たのだ。
その年、関東インカレ2部の800mでついに優勝を果たすなど、しっかりと結果を残していただけに、誰もが驚くような決断だった。
「でも、自分の中ではずっと苦しんでいて、とくに長い距離が走れなかったんです。コンパートメント症候群といって、僕の場合は3000mを過ぎると脛の筋肉がパンパンになって足が動かなくなる。ゆっくりとしたペースだったらたとえ20kmでも走れるんですけど、レースでパンってスピードを上げることができない。練習でも貢献できないし、自分の居場所が中距離にしかなかった。箱根の予選会も走れないのであれば、もっと別の形でチームをサポートした方が良いのかなって。ちょうど憧れていた主務の方が辞めるタイミングでもあったので、監督には自ら主務をやりたいですと申し出ました」
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最上級生の主務がいなくなるタイミングで、渡りに船とも言える申し出だったが、原監督からは意外な言葉が返ってきた。岡崎さんがこう述懐する。
「とくに否定はされなかったです。でも確か『中距離でも良いじゃないか。選手兼主務でやったらどうだ』って、別の提案をしてくれました。それで考え直して、翌年のトラックシーズンまでは選手をやって、主務業も並行してやることになりました」
兼務と口で言うのは簡単だが、主務の仕事は生半可な気持ちで務まるものではない。練習の準備や後片付け、練習中のタイム計測や調子が上がらない選手のフォローなどに加え、寮に帰ってからも関東学連とのやりとりなど膨大な事務処理が待っている。
「僕に怒鳴られた選手もたくさんいたと思います」
当時を振り返る岡崎さんの表情に影がさした。
「それこそ、あの当時は寝る暇もなかったですね。朝練には選手として走り、一方で誰か調子を落としていないか主務の目線で選手を観察したりもする。一日の練習が終われば、全員の練習日誌に目を通して、夜中にコメントを書くとかもやってました。ただ、主務ってどうしても自分を犠牲にしなきゃいけないところが出てくるから、それは納得の上でやってました。とにかく箱根に出るためにできることは何でもやろうと。自分にも人にも人生で一番厳しい時期だったので、僕に怒鳴られた選手もたくさんいたと思います」

