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「東洋大で武者修行してきなさい」原晋監督の指令が青学大“ダメダメな1年生”の意識を変えた「甘さを痛感」“弱かった青学大”が箱根駅伝に出るまで
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小堀隆司Takashi Kohori
photograph byTakuya Sugiyama
posted2026/01/11 11:26
青山学院大学の原晋監督。箱根駅伝出場を目指した“黎明期”から、選手の資質や性格を見極める眼力は光っていた
「自分がいかに甘いか、それを痛感させられました。そもそも箱根に出るのが当たり前の大学と、うちのようなサークル感がまだ残っている大学との違いって言うんですか。ピリピリ感を目の当たりにして、箱根を目指すと言っている自分が恥ずかしくなったんです。ちょうど広島の高校の同級生が東洋にいたので、成長の差を見せつけられたのも大きかった。これを機に僕の意識や態度はガラッと変わりました」
それまではむしろ悪目立ちをしていた選手が、率先して練習に励み、誰よりも早く朝練に出てくる。これほどまでに人は変わるのかと、周囲も目を見張るほどだった。
監督への意見もOK「心理的安全性は担保されていた」
原監督には、岡崎さんの方からこんな提言もしたと話す。
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「とにかく東洋大の選手は朝からストレッチを入念にするんです。それも今まで見たことがないような2人組でやるストレッチや、あとはラダーと呼ばれる動きづくりを目的とした基礎トレーニング。当時の東洋大の監督は川嶋伸次さんで、オリンピックにも出ていたので様々なノウハウを知っていた。自分が目にしたこともないような運動を当たり前のようにみんながやっていることに驚いて、ぜひこれをうちでもやりましょうって。原監督に伝えたら、すぐにラダーを購入してくれました。自分はこんな練習がしたいんだって、監督に意見をしても怒られない、そういった心理的安全性は僕らの頃から担保されてましたね」
当時も今も、青学大の朝練は5時半から始まるが、岡崎さんは朝の4時半には目を覚ましていた。朝練習の前に寮の地下室でストレッチをするのが、東洋大の合宿から帰ってきてからのルーティンとなっていたからだ。
そうした努力の成果はすぐに結果となって表れる。大学2年の春、関東インカレ2部の800mと1500mに出場すると、両種目で準優勝に輝く。長距離種目ではなかったが、2年生で表彰台に上ったのだから才能は非凡だった。
この頃、チームもまた歴史の転換点を迎えていた。岡崎さんが入部した年は予選会13位、2年目は16位と惨敗を喫したが、3年生になった年、2007年の予選会で青学大は10位と、本戦出場の9校まであと一歩のところまで迫っていた。

