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「一方的な大流血…地獄絵図」ウルフアロン新日本デビュー“45年前の悲劇”…大物ルーキー・谷津嘉章の初陣は、なぜ「史上最悪のデビュー戦」になったのか?
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2026/01/10 11:00
国内デビュー戦でスタン・ハンセンにドロップキックを決める谷津嘉章
62歳で右足を切断…谷津が続ける挑戦
その後、谷津は再び海外修行に出て83年に長州力率いる維新軍に加入して帰国。全日本プロレスに移籍後は、ジャンボ鶴田との「五輪コンビ」でメインイベンターとして活躍するが、90年にメガネ販売の大手企業メガネスーパーが設立した新団体SWSに移籍。そのSWSがわずか2年で崩壊すると、インディー団体を渡り歩く流転のレスラー人生となった。
そして2019年、谷津に悲劇が襲う。持病の糖尿病が悪化し合併症で右足の切断を余儀なくされたのだ。
「右足を切断した時は、さすがの俺も落ち込んだよ。でも、モスクワ五輪の時と同じで悲しんだってしょうがない。『俺の心は負けてねえぞ! これに打ち勝ってやる』と思ったんだ」
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ここからが新たなチャレンジの始まりだった。リハビリをして義足を作ると、21年3月に東京五輪の聖火ランナーとして76年モントリオール以来、45年ぶりに五輪のイベントに参加した。そして同年6月には義足着用でプロレスの試合に復帰。7月にはDDTプロレスリングのKO-D8人タッグ王座を獲得した。
そして23年3月、日本障がい者レスリング連盟を発足。最後の大きな夢として障がい者レスリングのパラリンピック正式種目化に向けての活動を展開している。
「正直、正式種目に採用されるまで時間はかかると思うよ。モスクワ五輪でメダルが取れなかったから、パラリンピックの初代金メダリストになりたかったけど、今、69歳の俺には難しそうだ。また“幻のメダリスト”だよ(笑)。でも、俺が生きているうちに正式種目にしたいね」
プロレスラーの生き様はやられても立ち上がる姿を見せること。右足切断の絶望から立ち上がり未来へと歩き出した谷津嘉章は、やはり“凄いヤツ”だった。

