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「一方的な大流血…地獄絵図」ウルフアロン新日本デビュー“45年前の悲劇”…大物ルーキー・谷津嘉章の初陣は、なぜ「史上最悪のデビュー戦」になったのか?
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堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ新聞社
posted2026/01/10 11:00
国内デビュー戦でスタン・ハンセンにドロップキックを決める谷津嘉章
「プロレスできるの?」「いや、教わったことない」
谷津は80年10月23日に新日本入団会見をおこなったあと、日本デビュー前に海外でプロレスを学びデビューするため12月初旬に渡米。そこで初めてプロレスのなんたるかを知る。
「ニューヨークに行ったらキラー・カーンがいたんだよね。カンちゃんは俺がアマレス世界選手権に出た時、たまたま開催地のメキシコでプロレスをやってて、現地でしゃべったことがあったんだよ。その時以来の再会だったんだけど、カンちゃんに『3週間後にデビューって聞いたけど、プロレスできるの?』って聞かれて『いや、教わったことない』って答えたら、『それはまずいよ』って言われて、その時に初めてプロレスの“仕組み”を教えられたんだ。愕然としたけど、もう12月29日にマディソン・スクエア・ガーデンでデビューが決まっていて日本でもテレビ放送されるのでやるしかない。カンちゃんに1週間の集中指導を受けて臨んだよ」
あまりにも無謀。付け焼き刃にもほどがある初陣だったが、対戦相手のベテラン、ホセ・エストラーダのリードもあり、なんとか無難にデビュー戦をこなした。
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その後、谷津は5カ月間アメリカで修行を積み81年6月に帰国。日本デビュー戦は6月24日蔵前国技館。テレ朝『水曜スペシャル』枠で特番が組まれたビッグマッチのメインイベントに猪木と組んで出場という破格の待遇だった。
日本デビュー戦はなぜ「凄惨マッチ」になったのか?
とはいえ、相手はハンセン&ブッチャーという超強力タッグ。あまりに無謀なマッチメイクであり、勝てないまでも谷津がどこまで向かっていけるかが焦点とされた。しかし結果は前述のとおりあまりにも凄惨で一方的な展開となる。
「あの時、ブッチャーが全日本から移籍してきたばかりだから、ハンセンと二人で競うように俺をいたぶったんだよ。ハンセンなんか本物のビール瓶で頭を殴ってきて、あれは痛かったな。俺も試合前からかなり痛めつけられるだろうと覚悟していたけど、まさかあそこまで一方的にやられるとは思わなかった」
谷津は血だるまにされながら、薄れていく意識の中でこのマッチメイクの“意図”に気づいたという。
「俺があれだけやられてるのに、猪木さんは助けにもこなかったんだよ。その時、『ああ、俺はこういう役回りか』と思った。おそらく猪木さんは『アマレスのオリンピック選手でも、大物プロレスラーには手も足もでない。それだけプロレスは強いんだ』と大衆に示したかったんだろう。そのための1500万円だったんだ」
プロレスはやられてもやられても立ち向かっていく姿が見せ場だ。たとえ試合で負けたとしても、その向かっていく気持ちを見せるレスラーにファンは声援を送る。しかし谷津はその立ち向かうシーンすら作らせてもらえなかった。
プロレス転向記者会見で、猪木から「ダメなヤツ(谷津)になるな」とハッパをかけられ、「凄いヤツになります」と言った谷津だったが、日本デビュー戦でプロレスファンから「ダメなヤツ」の烙印を押されてしまったのである。

