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「スカウトに大苦戦」「正直、何をしたらいいのか」強豪の指揮を受け継ぐも全国高校駅伝で“ワースト記録”…佐久長聖高の名監督「黎明期の苦闘」 

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高見澤勝

高見澤勝Masaru Takamizawa

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posted2025/12/25 17:04

「スカウトに大苦戦」「正直、何をしたらいいのか」強豪の指揮を受け継ぐも全国高校駅伝で“ワースト記録”…佐久長聖高の名監督「黎明期の苦闘」<Number Web> photograph by KYODO

高見澤勝氏が監督に就任した1年目、2011年の全国高校駅伝は同校ワースト記録の21位。高見澤監督は「やってしまった……」と青ざめたという

 部員が一番少ないときは3学年で20人もいませんでした。1学年が5人という年もあったんです。今は部員が39人いますから、状況がまったく違います。

頼れる後輩がコーチに

 私が監督になったタイミングで、今いる市村一訓がコーチとして入りました。両角先生が東海大学に行くという話のなかで、「高見澤が監督になったらコーチが必要だから考えておけ」と言われて、すぐに市村の名前を挙げました。ただ市村には、「両角先生が東海大学に行く」とは言えなかったので、最初は3人体制になると思っていたはずです(笑)。

 市村は私の2学年下になります。シンプルに私が一緒にやりやすいかなと思いましたし、教員免許を持っているなかで彼が一番適任でした。高校時代も凄く真面目でしたし、できた人間だなと感じていました。3年時にキャプテンだった私は、他の1年生には厳しく言っていたんですけど、市村に注意した記憶はありません。それくらいできた選手だと当時から思っていました。彼も実業団の小森コーポレーションを退社したタイミングだったこともあり、快く引き受けてくれました。

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 当初は私自身が本当に一杯いっぱいだったので、市村にはいろんなことをサポートしてもらいました。私のコーチ時代と違って、市村は走る余裕がなかったと思います。

〈全4回の3回目/つづきを読む

#4に続く
全国高校駅伝3年ぶり入賞で「ホッとして謎の発熱」した12年前…佐久長聖高・高見澤勝監督が“開眼”したわけ「こうやればいいんじゃないのか」
この連載の一覧を見る(#1〜4)

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