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メジャー球団が欲しがった“あるドラフト指名漏れ”選手「じつは阪神ファン」父は商社マン、ニューヨーク育ち…慶大・常松広太郎22歳が語る“半生”

posted2025/12/06 06:00

 
メジャー球団が欲しがった“あるドラフト指名漏れ”選手「じつは阪神ファン」父は商社マン、ニューヨーク育ち…慶大・常松広太郎22歳が語る“半生”<Number Web> photograph by Masaki Fujioka

常松広太郎(慶應大野球部4年)にインタビュー。その半生と就活、カブスからオファーの裏側を聞いた

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Masaki Fujioka

ドラフト会議で指名漏れするも、外資系投資銀行ゴールドマン・サックスの内定、さらにはメジャー球団・カブスからオファーを受けた常松広太郎(慶應大野球部4年)。本人がその半生を明かしたNumberWebインタビューの短縮版をお届けする。

「2003年の10月27日に僕は生まれたんですけど、その日に阪神はソフトバンク(当時ダイエー)との日本シリーズ第7戦に敗れ、日本一を逃しているんです。もし阪神が勝って日本一になっていたら、自分の名前は『虎之助』だったそうです」

 大手商社に勤める父親は熱心な阪神タイガースファン。息子の誕生日が日本シリーズ敗退の日と重なったことで、“虎之助”の名を与えることは叶わなかったが、幼い常松少年は自然と阪神ファンとなっていった。テレビに映る鳥谷敬や新井貴浩(現・広島監督)の姿を見ながら、野球への情熱を育てていった。

 小学1年生という早い段階で硬球のリトルリーグに入団。その後、小学4年生で父親の転勤によりニューヨーク州のウエストチェスター群ライ町へ移り住む。「ニューヨーク州のウエストチェスター群ライ町という、高級住宅街ではあるんですけど、野球が盛んな地域で過ごしました。本場米国のリトルリーグは町内の子どもたちが春から夏にかけてリーグ戦を戦い、そのなかから野球が上手だった18人ぐらいで選抜チームを結成し、世界大会の予選に出場するんです」

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 米国での生活は常松の人生観を大きく変えた。「ニューヨークにはタレントが集積されているというのは子どもながらに感じていましたし、父親の会社や取引先の方々とホームパーティーとなると、いわゆる社交界のように華々しかったです」

TOEIC満点、慶應への道

 小学校卒業と同時に帰国した常松は、慶應湘南藤沢キャンパス(SFC)の中等部に進学。英語力を維持したい思いから帰国子女クラスを選んだ。「アメリカに1週間ぐらい行くと、脳内の思考もすべて英語モードになるんですけど、国内でもそれに近い状況になりたいなと」

 その結果、TOEICでは990点の満点を達成。しかし学業優秀な一方で「高2ぐらいまで勉強をした記憶がなくて」と語る常松は、高校3年になる直前に慶應内部進学を意識し始め、「内部進学でも難易度が一番高い法学部政治学科に進学することができました」と“コソ勉”の成果を振り返る。

 清原和博氏の息子で、常松の1つ上の先輩にあたる清原正吾とも「かなり親しいです」と語る。「下級生の頃から同じ右バッターとして一緒に練習する機会も多かったですから。彼のお父さんにもお目にかかったことがあります」

 大手商社マンの父を持ち、ニューヨークで育ち、慶應で学んだ国際派の秀才。TOEICで満点を取る頭脳を持ちながら、なぜ彼は野球の道を選び、海を渡ろうとしているのか——。〈つづく〉

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