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高校駅伝9年前の奇跡「主将が怖くて喜べなくて(笑)」…“廃校直前”離島の「普通の公立校」が県大会11連覇の強豪私立に圧勝→全国大会に行った日
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別府響Hibiki Beppu
photograph by取材対象者提供
posted2025/11/04 11:02
廃校が決まっていたため、小豆島高校として「最初で最後」の全国高校駅伝出場を決めた瞬間。メンバーはほぼ島内出身者で、まさに快挙だった
初優勝のテープを切り、小豆島高として「最初で最後」の都大路を決めたときには、実にその差は4分近くになっていた。
それまで11年連続で優勝していた絶対王者の覇権を止め、翌年の廃校が決まっている普通の公立校が、最初で最後の全国高校駅伝出場を決めた。しかもその高校は離島にあり、ランナーたちはほとんどがその島で生まれ育った地元の生徒たち――。
字面だけ見れば、まるで漫画でもおかしくない話である。端的に言って、奇跡的な出来事だ。当然、当人たちも狂喜乱舞してもおかしくない。ところが現実は思ったよりも淡々としていたのだという。
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増田は、その内幕を苦笑しながら振り返る。
「僕個人は結構、ホッとしたし、嬉しかったんですよ。でも、たしか記録が当時、尽誠が持っていた県記録を抜けなかったのかな。それで真砂がすぐに『都大路で絶対、県記録を出すんだ!』って全然、嬉しそうじゃなくて。もちろん意識的に空気感を締めたんだと思うんですけど、それでみんなあんまり喜びを表に出せなかったんじゃないですかね(笑)」
最後の最後まで、主将は厳しいままだった。ただ、その厳しさがあったからこその“小豆島の奇跡”だったことは、もちろん全選手が理解していた。
そして、その年の12月下旬。
小豆島高校が出場した、最初で最後の都大路は25位という結果だった。良くも悪くも、力通り。全員がその時点の全力をしっかりと出し切った走りだった。
同校の最初で最後の晴れ舞台ということもあり、島からは大応援団が駆け付けた。その人数は出場した全チームでもトップクラスの規模で、中継するNHKでも何度もその姿が報じられた。それは、駅伝チームの躍進がそれだけ島民に活力を与えたということの裏返しでもあった。
「結局、尽誠の県記録が抜けなくて。それだけは最後までめちゃくちゃ悔しかったですね」
主将を務めた真砂はそう苦笑したが、離島の公立校が果たした「奇跡」は、こうして大団円を迎えることになった。
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その真砂は、卒業後は順大へと進学した。
もちろん当時、小豆島から箱根の強豪校に進学した前例は皆無に等しかった。それでも真砂は更なるチャレンジを選んだ。
「別にこれまではそういう選択をする人がおらんかっただけで。一応、20何番とはいえ、自分たちも全国で戦ってきている。だったら、別にそんなに難しく考えんでも、高校の時と同じように這い上がっていけばいいんじゃないかと思ったんですよね」



