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高校駅伝9年前の奇跡「主将が怖くて喜べなくて(笑)」…“廃校直前”離島の「普通の公立校」が県大会11連覇の強豪私立に圧勝→全国大会に行った日
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別府響Hibiki Beppu
photograph by取材対象者提供
posted2025/11/04 11:02
廃校が決まっていたため、小豆島高校として「最初で最後」の全国高校駅伝出場を決めた瞬間。メンバーはほぼ島内出身者で、まさに快挙だった
進学後は全国から集まった強力なライバルたちとの競争に「なかなか簡単ではなかった」と振り返りつつも、2020年には箱根駅伝にも5区山上りを任されて出走。小豆島出身者として、初めての箱根路を駆けた。
大学卒業後は実業団の愛知製鋼へと進むと、そこでも各種目で自己ベストを更新した。今年2月に現役引退を発表し、現在は社業に専念。営業部のメンバーとして、新たな道を歩んでいる。
同様の状況の中で、増田も同じく大学駅伝の強豪・帝京大へと進学した。
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4年時には全日本大学駅伝で区間3位と好走するなど、爪痕を残した。一方で、箱根駅伝に関しては大学3年時、4年時にはエントリーメンバー16人に選ばれたものの、故障の影響もあり最後まで箱根路を走ることは叶わなかった。その悔しさを胸に、卒業後は自衛隊体育学校へと進んでいる。
真砂、増田に続いて1年年下の向井も翌年、早大へと進学した。
高校進学の際、「陸上だけやることは考えていなかった」という言葉の通り、有言実行の名門への進学だった。
その一方で、入学後は故障と不調に苦しんだ。
「今振り返れば、やっぱり小豆島の練習が合っていたんですよね。どうしても大学に入るとスピード練習や強度の高いトレーニングが多くなる。それもあって高校時代の補強のような基礎的な練習が足りなくなっていた。それが不調につながっていたような気がします」
それに気づいた2年目の後半以降は高校時代のメニューも取り入れながら、うまく調整することで記録を伸ばすことができた。箱根駅伝では1年時と3年時の2度、エントリーメンバーには入ったものの、出走は叶わなかった。卒業後は競技から離れ、現在は一般企業に就職している。
「奇跡」のその後…小豆島高校はどうなったのか
最後に、その後の小豆島についても触れておきたい。
土庄高校との合併を経て、小豆島中央と名前を変えた旧小豆島高の駅伝チームは、その後、文字通り「黄金期」に入る。
真砂たちの初出場は、県内の中学生たちに大きな夢と希望を与えた。
「自分も小豆島から都大路へ――」
そんなことを考える中学生が増え、当初は物珍しく、増田くらいしかいなかった本土からの入学選手も急増した。荒川雅之監督の自主性を活かした指導も力を発揮し、実に初優勝から2024年まで県駅伝を9連覇。まさにかつての尽誠学園を彷彿とさせる、絶対王者の立場となっていた。
ところが2025年の年始、帰省の際に母校に顔を出した増田は、荒川監督からまさかの言葉をかけられる。
「スマン、さすがに今年は難しいかもしれん」


