箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「ウチも丸刈りの方が良いんじゃないか」全国高校駅伝を目指した“離島の公立校”に起こった「髪型事件」…“普通の部活”が全国を目指すリアルとは?
text by

別府響Hibiki Beppu
photograph by取材対象者提供
posted2025/11/04 11:01
後に小豆島高校として、最初で最後の全国高校駅伝出場を決める陸上部のメンバーたち。一方で、快挙までの道筋は決して簡単なものではなかった
当時の小豆島は、荒川監督の意向もあり、あらゆることの最終決定を部員たち自らするシステムだった。部の大方針から練習メニューまで、もちろん技術的な指針は監督やコーチから示される。だが、最後は自分たちで決めなければいけない。結果的に、部員でのミーティングの機会がかなり多かったという。向井が振り返る。
「最初はミーティングでも互いに悪い指摘ばかりが出る感じで。でも、そこでちゃんと自分たちの意見を言い合えたのは大きかったと思います」
当人の意見はともかくとして、少なくとも自分も参加したミーティングで決まったことであれば、賛同するにせよ反対するにせよ、そこには自覚と責任が生まれる。決まった以上はやらなければならない。そんなすり合わせを経ながら、少しずつチームが同じ方向を向き始めたという。
厳格なキャプテンの陰で…「変わり者」エースの存在
ADVERTISEMENT
そしてもうひとつ。大きかったのが、真砂と同じ2年生の増田の存在だった。
中学時代はその世代で県内No.1ランナーだった増田は、ひょんなことから実家のある本土の高松を離れ、小豆島に進学していた。決して陸上強豪校でもない島の公立校に突如、入学してくることからも分かるように、増田はどこか独特の感性の持ち主でもあった。
陸上部でも「最初は個人で頑張る気持ちが大きかった」と振り返るように、真砂とは少し異なる独特の鷹揚さを持っていた。
そんな増田のキャラクターに加え、下宿先が向井曰く「その辺の島のおばちゃんの家」だったこともあり、そこにはよく部員たちが遊びに来るようになっていた。
そしてそんな環境であればこそ、普段、面と向かってキャプテンには言いにくいことも、増田にはスッと言葉にできる部員も多かった。
「真砂さん、あれ言い過ぎっすよね」「言い方考えてほしいよな」
そんな言葉を聞きながら、増田はうんうんと頷きつつ「でも、勝ちたいならやるしかないからなぁ」と、真砂のムチとは違う角度からのアプローチで部員を焚き付けることになっていた。
もちろん真砂は真砂で、反発が起きていることは百も承知だった。
「最初の方は結構、自分でガツガツやったんですけど、それやとなんか僕だけが喋って、監督みたいな感じになってしまって。ひとりで『何やっとるんだ!』って周りに怒ってばかりみたいになってしまったんですよね」
そんなフェーズを経て、上述の増田の話なども聞きながら、少しずつ自分ができないところは他のメンバーに助けを頼めるようになっていった。チームメイトに、良い意味で「頼る」ことができるようになったのだ。
「すまん、さっき俺、言い過ぎたと思うからちょっとフォローしてあげてくれるか?」「俺に見えなくなっていることがあったら、共有してくれ」
そんな経緯を経たことで、トレーニングそのもののクオリティも上がっていく。
当時の小豆島の練習は週6日で日曜日は完全オフ。週に2回ポイント練習を行い、他の日は各自ジョグと動きづくりや補強を行うというものだった。

