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プロ野球PRESSBACK NUMBER
“ドラフト史上最大の事件”江川卓「空白の一日」とは何だったのか? 巨人OBが激怒「制度が崩壊する」江夏豊「江川も大変なんやろうな」選手からは同情論
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2025/10/25 11:01
1978年11月21日、ドラフト会議を経ずに巨人と電撃契約を交わした江川卓(当時23歳)。他球団と世論の猛反発を招き、大騒動に発展した
実は、日本中で江川が悪者として叩かれまくっているのとは裏腹に、当時の現役選手たちからは同情の声が上がっていたという。
当時の巨人の主力野手が匿名を条件にチーム内の状況について語ってくれた。
「絶対的盟主の巨人だったからまかり通るって話でしょ。俺たちは客観視するしかないですから。でも、江川に対しては最初みんな同情論を持ってましたよ。『あいつも振り回されてかわいそうだよな』って」
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中日にいた田尾安志も「学生のときから江川のことを知っていますが、結局巻き込まれてしまったというか、江川一人だけ矢面に立たされてかわいそうだと思ってました」と語っている。
江夏豊の証言「江川も大変なんやろうな」
たかだか23歳の青年に、こんな大それた絵を描くことなどできないことくらいみんなわかっていた。巨人を中心にプロ野球界が回っているのは周知の事実。当時、南海から広島に移籍して1年目のオフだった江夏豊は、複雑な感情を込めて口を開く。
「俺のときもそうだった。69年に黒い霧事件が明るみに出たあと、70年に俺が反社から時計をもらったという記事を報知新聞が書いた。その報知の担当記者とは仲が良くて、昼飯を食べているときに何気なく話したことを、黒い霧事件で球界が大騒ぎしている最中に記事として出された。要は読売にハメられた。その担当とはそれっきり。巨人は憧れの球団ではあったけれど、組織としては……。ある意味凄いわな。そういった意味で江川も大変なんやろうなという目で見ていたよ。本当なら同じピッチャーとして巨人以外に入って、巨人を倒してもらいたい思いもあった。とにかく、あいつ自身はあの騒動において何も悪くないもんな」
いち選手がどう足掻いても組織の前では無力であることを身に染みて感じている江夏だからこそ、騒動の渦中にいた江川を見て同情心が芽生えたのだろう。
いずれにしても江川は、大人たちが敷いたレールに乗るしか道はなかった。
<続く>

